「考え過ぎだよ」
「もっと気楽に考えたらいいのに」
不安や困りごとを人に伝えたとき、
たびたびこんな風に返される。
その時は「ああ、まぁそうなのかもな」と思う。
でも、少し時間が経つとまた「いや、ちょっと待てよ」と思う。
忘れかけてた不安が、もう一回ぞわわわーっと襲ってくることもある。
確かに相手からすると「過ぎ」ているのかもしれない。
相手にとってはそれは真実なので、否定できない。
でもそれは相手の基準や考えの及ぶ範囲から「過ぎ」ているだけで、
僕にとっては決して「過ぎ」てなんかいない。
自分の中に「ある」はずの困りごとや不安が、
いつの間にか相手のものになって、
「ない」ものになっていく感じがある。
困りごとや不安は、ないに越したことはないと思う。
けれど、今の自分の居る場所に「ある」のであれば、そのことは認識しておきたい。
ちゃんと「困っている」というところから始めたい。
2014年11月25日火曜日
2014年11月9日日曜日
4時間の過ごし方
この前、仕事の時間を4時間ほど早く間違えていて(遅刻じゃなくてよかった)
朝08:30に京都市内でぽっかり時間が空いてしまった。
「前から気になってた近くのカフェにでも行って、
11時くらいになったらCD屋か本屋に行って、その後お昼食べるか」
と思ってとりあえず歩き始めた。
でも、カフェの場所はうろ覚えでネットも使えないため場所が分からない。
(「iPhoneを出先で使わない」という実験中。)
そこで特に4時間の過ごし方の見通しは持たず、
その都度の思いつきで動いてみることにした。
コーヒーが飲みたい、かつトイレに行きたくなってきたので
セブンイレブンまで歩く。
座ってコーヒーが飲みたいので公園のベンチに行く。
日影に座っていて寒くなってきたので、そばの神社を歩く。
小腹が空いてきた(なぜか団子が食べたくなった)ので土産物屋を覗くも、
開店前なのでしばらくうろうろする。
歩き疲れたので、見つけた図書館に入る。
目にとまった本を読みふける。
近くに話題の食事処があったことを思い出して、行ってみる。
店の前に着いたが特に惹かれなかったのでまた歩く。
ここで団子屋を見つけるも、もう団子欲は収まっていたのでスルーする。
怪しげな古本屋に偶然通りかかり、前から読みたかった本を見つけたので買う。
買った本を読みたくなったので、
しばらく居座っていても何も言われない食事処を探して、
マクドナルドにたどり着く。
ぎりぎりまで買った本を読む。
結局、これで4時間が終わった。
「コーヒー飲みたい」
「トイレ行きたい」
「寒い」
「歩き疲れた、座りたい」
「本読む場所と時間がほしい」
みたいな、その都度浮かんできた感じに忠実に動いてみると
すごくおもしろかった。
あれが4時間だったような気がしない。
単に時間が長く感じたというよりも、
時間がぎゅーっと濃縮されて速く過ぎているような感じ。
気になってたカフェに行って、CD屋に行って…みたいな
最初に思いついた時間の使い方はしなかったけど、
別に達成されなくても全く問題のない思いつきだった。
むしろ、好きな環境でコーヒーを飲んでゆっくりできたし、
古本屋も見つけて、思いもよらず買った本はすごく面白かった。
1つ1つ気の向くほうへ動いていくと、
出会うべきものに出会った感じがして、全体としてすごく満足だった。
日頃もこういう感じで過ごせたら、何だかよさそうな感じがする。
「旅行したい」みたいな欲求は最近なかったけど、
見知らぬ土地でこんな風に過ごす旅は、きっと楽しいだろうと思う。
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