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2015年10月28日水曜日

東山の和室生活・レポート

「東山の和室で一ヶ月生活する」と言い始めて、ほぼ一ヶ月が経とうとしているので、気がついたことをメモしておこうと思います。

◾︎夜寝るのが早くなった。
和室に帰ってきてごはんを食べて銭湯に行ったり行かなかったりして、たいてい10時半とか11時には眠くなって寝てしまう。実家にいるとだいたいネットをだらだら見ていたりするので、たぶんこれはインターネットがつながっていないことの影響が大きい。

◾︎寝袋でも案外寝られる。
1ヶ月過ごすとなると、耐えきれなくて布団を搬入したくなったりするのではないかと思ったけれど予想が外れた。案外寝袋でもしんどくない。むしろ問題は枕で、頭が床についた状態だとものすごく眠りにくい。しばらくは着替えや荷物を枕代わりにしていて、途中で座布団を折って枕にするようになってとても快適に眠れるようになった。

◾︎料理をしようという気にならない。
この一ヶ月で買った食材は、米、パスタ、パン、うどん、梅干し、ふりかけ、トマト缶、レトルトカレー、麻婆豆腐の素、豆腐、納豆、卵、シリアル、牛乳、飲むヨーグルト、チョコレート、惣菜類(揚げ物)、コーンスープ、即席味噌汁、ドリップコーヒーなど。冷蔵庫がないので、長期保存できるか、応用がきいて確実に食べるものしか買っていない。「カレー食べたい」と思っても野菜や肉を買っても保存できないという感じが先に立って、レトルトばかりになる。料理するには、もう少し定住感がないと難しい。パスタも作ろうと思ったけどチーズが保存できない(持ってきたけれど腐らせた)のと、コンロがひとつしかなくソースと麺を茹でるのが面倒でさっぱり作らなくなってしまった。

◾︎共同トイレはあまり気にならない。
ほかの住人とトイレで出くわすこともほとんどないので、これはあまり気にならない。定期的に業者の方がきて清掃しているようなので、だいたいきれい。


また思いついたら書き足します。

2015年10月4日日曜日

ベーシック・ライン生活。東山の和室で一ヶ月生活する。



どうしてこれをやろうと思ったのか、説明しようとするけれど上手くできない。

ともかく、いつもの荷物のほかに3日分の服を紙袋に詰めて、昨日東山の和室に到着して一夜明けて、今みやこめっせでブログを書いている。みやこめっせは今日、街でよく見かける紅茶メーカーのイベントがやっていて、おしゃれな女の人がたくさん行き来していて落ち着かない。ロビーを出て地下のガラス窓そばの椅子に移動して、また書き始める。

ここのところあまりブログを書いていなくて、どう書いていたかを思い出すようにとりあえず思いついたことを打ち進めている。目の前をお母さんに抱かれた赤ん坊が通り過ぎて目が合う。館内にはなぜか和風にアレンジされたボレロや聞いたことのある何かの曲が流れている。

最近、食べるもの、着るもの、住む場所、使う道具、そういうものには「これでいい」と「これこそがいい」をつなぐラインがあるのではないかと、そういうことを考えている。「もっといいものがあるのではないか」と、他との比較から妥協に位置せざるを得ないような「これでいい」でもなく、それについてよく知っていたりたくさん投資したり所有することで自らの立ち位置を保つような、そういう「これこそがいい」でもなく、ただ「いい」としみじみ思えること。

それは例えば土鍋で米を炊くようなもので、土鍋で米を炊くと15分そこらで炊き上がるうえに、なにより美味い。仲間の間では湯豆腐も鍋ものもできるという話が出ていて嬉しい。炊飯器だと「早炊き」でも30分はかかるし、新しく買うと高い。今和室には炊飯器はないけれど、土鍋がある。「炊飯器くらい買えばいいのに」という人もいるけれど、そういう話ではなく、また「炊飯に最適な上質な土鍋」を追求するつもりもなく、ただ土鍋でいいし、土鍋こそがいい。

「これでいい」と「これこそがいい」の2つが同時に起こるようなこと、このラインを勝手に「ベーシック・ライン」と呼ぶことにする。ゼミで吉本隆明を読んでいるせいもあって言葉を正確に使いたいと思って意味が的確かを調べてみたけれどよく分からない。この間友人の澪さんと話していて出たことばで、なんだか響きが気に入っているので、もう使ってしまうことにする。

この「ベーシック・ライン」を探求しながら、ひとまず一ヶ月、ここで生活します。生活というのはつまり、ここで寝てごはんを食べ、平日はここから仕事に行ってここに帰ってくるということをやってみます。

2015年8月18日火曜日

281時間のフリーキャンプ 3:他人の影

フリーキャンプ開始から248時間32分。

終電に近い京阪電車に乗ってまるネコ堂を出て東山の和室にやって来た。一晩明けて目が覚めてブログを書いている。

「そうか1人になりたいのか」と気がついてからは行動が早くて、1人まるネコ堂で留守番していたぼくは荷物を片付け始めた。リュックに必要なものをまとめ、ペットボトルに水を汲み、携帯と小銭をポケットに突っ込んだ。このまま書き置きだけしてここを出たら、あと数十分で戻って来るであろう大谷さん・澪さんはびっくりするだろうなと想像しながらいたずらな気持ちになるけれど、そうはせず、とりあえず庭に出て雨がまばらになった空を眺めると西の空の雲の切れ目から太陽の光が差し込んでいるのをしばらく見ている。ほどなくして大谷さん・澪さんが帰ってきてコロッケとチューハイと発泡酒にやられてそのまま飲んで、キーマカレーを作ってしばらくごろごろしていたのだけれど、やはり出発する。

三条京阪の駅についてしばらく街をうろうろして、和室に向かう。ラーメンが食べたくなって、なぜかチキンラーメンだと思う。目の前には屋台風の店構えで店員が店先で休憩している長浜ラーメンが見えるけれど、きっと部屋に戻って湯を沸かして袋ラーメンを食べても満足するのだろうと思い、やっぱりチキンラーメンだと思う。川端通りに面した24時間営業のフレスコに行く。店内はがらんとしていてレジには店員も通路に客もおらず、店員は棚で商品陳列をしている。ラーメン売り場に行くと足元に袋ラーメン5パックが並べてありチキンラーメンもやはりある。これの1食分、と棚を見上げると幾つかの種類が並んでいて、80円だ。80円でチキンラーメンが食えると期待して棚を探すけれどあのパッケージは見当たらずああ置いてないのかと一瞬がっかりするがチキンラーメンの値札だけを見つける。棚は空で売り切れているようだ。5食パックを見つけたとき、1食パックの値札を見つけたときの2回ぼくは期待して2回裏切られ、けれどやはりラーメンは食べたくてマルちゃん製麺のパックを手にとってレジに行く。

アパートの前について2階を見上げるといくつかの部屋の灯りがついていて住人が起きているのだとわかる。けれど2階に上がっても物音がしないので寝ているのかもしれない。部屋でフライパンに湯を沸かしながら荷物をおろす。木製の器にヒビが入っているのでフライパンから直接食べることしかできない。火を止めてフライパンに粉末スープを入れる。レンゲがないのでマグカップですくってスープを飲むことにする。ラーメンをすする音が部屋に響くのが気にかかる。自分の生活音というのが人に聞こえてはいないだろうか、なに夜中にラーメン食べてるんですか、静かにしてくださいと住人に言われないだろうかという考えがよぎって、ぼくは今気にしているのだということがわかる。選んだラーメンは豚骨ラーメンで、ちょっとしつこい。ぼくはこういう自分でラーメンの種類を選べる時は豚骨ラーメンを選びがちで、それは多分実家でラーメンを食べる時は大概塩ラーメンで高校生くらいの時期から豚骨ラーメンへの憧れみたいなものがあったからだ。友人がラーメンはやっぱり豚骨だよなという話をしているのを聞いて、うちはなぜ塩なんだろうかと考えたことがあって特にそれがどうということもないのだけれど、もともとチキンラーメンを食べたくてなぜか今豚骨を啜っているぼくはその延長線上に居る。

ラーメンの後始末を終えると、この何もない和室で安心して眠るためにはどうしたらいいかを考えるともなく準備し始める。パソコンからうすく音楽をかけておく。部屋の隅にポケットに入っていたものや文庫本をリュックの横に並べて置く。寝袋を2つ出してきて1枚は敷き布団代わりに、もう1枚は枕にする。この6畳の和室は西側に窓があり、東側に2畳分の台所スペースを挟んで廊下に面した小窓と玄関がある。暑ければ廊下側の窓を開けようかとも思ったけれど涼しいのでその必要もなく、閉める。西側の窓に足を向け、台所側、つまり廊下側に頭を向けて横になる。

電気を消すけれど、どうも落ち着かない。部屋が真っ暗になると廊下の灯りが目に入ってきて嫌でも部屋の外の空間があるということを意識させられる。そしてこの体勢だと誰かが入ってきてもすぐに見ることができない。寝転んだまま顔を横に向けても目に入るのは白い壁だ。「誰かが入って」くる場合の誰かというのはつまり共同でこの部屋を借りている友人やアパートの他の住人や強盗とか霊的なものまで想像するのだけれど、どれもそうそう起こるとは思えず、一番可能性が高い友人でさえもこの時間帯に突然来るとは考えにくい。来たとしても何か問題があるわけではない。けれど実際に起こるかどうかはともかくとしても気になっているということは事実なので、極力気にしなくていい方法を考える。まずは頭の向きを変えて南側にする。こうすると左手に西側の窓を、右手に台所側の廊下に面した小窓を視界に入れることができる。きっとやって来るとも思えない訪問者が来てもなんとなく安心できるような気がして、ずいぶん落ち着く。次に部屋に広げていた荷物をまとめる。出しておく必要のない文庫本や服などはカバンにしまう。酒を少し飲んだコップも洗い、ペットボトルに水を汲んでおく。これでこの場所への固着感が少し減り、必要とあればさっと抜け出すことができる。何もないとは思うのだけれど。最後にリュック、携帯、小銭、財布、パソコンを等間隔に身体の両脇に並べておく。馬鹿げているような気がしながらおまじないだと思って、結界を張る。豆電球を点けると、廊下の灯りがやや薄まってこちらの6畳の存在感が増す。横になって右を向くと、流し台の上にある小窓越しにやはり廊下の灯りが目に入る。台所スペースとこちらを区切る戸の位置を調節して、風を通しつつも光が気にならない場所を探す。左を向くと網戸越しの暗闇に木陰が見えていてこれもちょうど目に入らない位置に身体を動かす。

学生時代に一人暮らしをしていた頃、マンションの部屋に入って鍵をかけてもまだなんとなく安心しきれず、キッチンと部屋を仕切るドアを閉めてようやく落ち着いたことを思い出している。少なくとも目の届く範囲に、他人の影がないという状態。誰かが入ってくるかもしれない、誰かいるということを感じざるを得ない、そういうセンサーをぜんぶ切ることのできる環境が必要で、そのギリギリのラインを探っているような感じがある。

暑さで寝苦しいこともなく、蚊の羽音を聞くこともなく、ほかの住人の影を感じることもなく、起きたら7時半だ。文章を書き始めて1時間が経っていて、書いていたらお腹が空くかと思ったけれどよくわからない。あと31時間27分でフリーキャンプが終わる。

2015年8月4日火曜日

東山に、書生を訪ねる その3(8月1日-2日)

「書生をしている」という友人の大谷さんを訪ねた。

東山に、書生を訪ねる
東山に、書生を訪ねる その2(7月31日)

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待ち合わせ時間からおよそ1時間遅れてマルイに到着して大谷さんに電話するとみんなは6階のメガネ売り場にいるというのでエスカレーターで上がる。なんでメガネ売り場にいるんだろうかと考えかけてけれど理由がわかったところで何ということもないという気分が先に立って思考が止まってただ身体は6階に運ばれて行く。

「雪駄の会」と銘打たれた会が友人5人とこの日の16時集合であって、錦市場の雪駄が売っている店に皆で行くことになっていてぼくは遅れている。最寄駅に着いて電話した時に皆はマルイに移動したことがわかって、ぼくは皆がもう雪駄を買い終えたか買わなかったか、とにかく雪駄を買う時間は終わったのだと思う。もしくはマルイに雪駄を見に行ったのか。

6階に到着するとすぐにメガネ屋のロゴが目に入ってそちらを見る。客の中に見覚えのある人を少し探してほどなく甚兵衛を着た2人の長身の男を見つけて、友人のけんちゃんと大谷さんだとわかって次にカラフルなスカートを履いたうみちゃん、帽子をかぶったみおさんを見つける。客に混じって白いワンピースのなっちゃんも見つける。

メガネ売り場の端で話を聞いているとみおさん以外は全員雪駄を買い、もう大谷さんとなっちゃんがメガネを注文したところだそうで時計を見るとまだ17時頃で、ものの1時間のうちにどれだけのことが起こったのかと驚きかけたかれどこの顔ぶれで居るとこういうことが起こっても不思議ではないという気がして落ち着く。

うみちゃんがぼくが木曜日に書いたブログの感想を伝えてくれて嬉しくなる。あの小説のようななんとも説明のつかない体験は誰にも話していなくて、けれど文字には残していてそれを読み取った人とこうして話をしているということがもう現実感がないけれど現実だ。大谷さんから話を聞くと部屋にあったパソコンも「interesting男」からもらったものだと聞いてさすがに面食らう。けんちゃんはあの日の夜、大谷さんに電話をしたけれど当然大谷さんは部屋に携帯を忘れていたので誰も出なかった。ぼくもあの夜着信音を聞いてはいないのでぼくが帰った後にかかってきたのだろう。もしぼくが部屋にいる時にかかってきていたら、大谷さんが携帯を部屋に忘れていたことをその場で知ることになっただろう。同じ時間に別々の現実が交差していてその接点をあぶり出していく作業をしている。

メガネが仕上がるまでに時間があるので河原に行く。リカーマウンテンとファミリーマートに寄って酒と食べものを買う。四条大橋から河原に降りる。その日は四条大橋北側の河原に屋台のようなものがたくさん出ていてぼくたちは橋の南側に空いている場所を見つけて6人で座って買ってきたものを広げて飲んで食べる。最初は「これちょっとちょうだい」と言いながら他の人が買ってきた酒やつまみに手を伸ばすけれど途中から誰の酒か誰のつまみかを気にせず飲み食いするようになってこれがちょうどよいと思う。各々が勝手に飲み食いしたいものを買ってきて持ち寄ってそれは誰が食べてもよいことになるという方式は「持ち寄り食会」そのものでこれが楽しい。マッコリがチェイサーだと言いながら沖縄の泡盛をこれは危険だといいながら煽る。

仕上がったメガネを受け取ってもう一度河原に出てその前にまた各々で買いものをしてからやはり飲む。今度は川の東側でこちらは暗く、川の西側の川床や店舗や屋台の明かりが目に入っていてあたりは暗くなってきている。恋愛の話や自分の呼ばれ方の話やなんの話ともつかない話をしているうちにサングリアが1本空いていて、川沿いを北に向かって歩く。こちら側から川の反対側はよく見える。向こうからおそらくこちら側は見えない。

フレスコに寄ってまた買い出しをしてまた河原に行ってまた飲んでいるといい時間になっていて解散することになる。ぼくと大谷さんとけんちゃんは東山の和室に行くことになり歩いて向かう。アパートに到着すると「interesting男」は隣の隣の部屋に住んでいて換気のためか扉が開いていてセサミストリートのクッキーモンスターの置物がドアストッパーになっている。部屋の灯りは点いていて物音はするけれど男の姿は見えず、クッキーモンスターの焦点の合わない目線と目が合う。部屋の中は猛烈に暑く、手ぬぐいを濡らして首にかけてTシャツを脱いでしまう。蚊取り線香の煙が漂っている中けんちゃんが澪さんから帰り際に渡された催しの案内文を読んで黒霧島を飲む。3人でここに座っているという時間が成立していることに現実感がないけれどやはりこれは現実で、回して吸い続けたアメリカンスピリットはもうあと2本になっている。

一夜明けて誰ともなく身支度をして部屋を出る。階段を降りると1階の共用トイレから男が出てきて 昨日お酒ありがとうございました という。男は白いタンクトップを着ていて寝起きなのか酒が入っているのか目があまり開いておらずこちらも頭がぼーっとしていて酒に心当たりがなく どうも、 と焦点の合わない目で会釈のような動きを首がする。後ろから大谷さんが続いて階段を降りてきて男がまた 昨日お酒ありがとうございました というと大谷さんは彼がinteresting男だとわかっていて返事をする。

帰ってブログをチェックすると大谷さんが昨日酒を男に差し入れていたことがわかる。やはり現実が交差している。

2015年8月2日日曜日

東山に、書生を訪ねる その2(7月31日)

「書生をしている」という友人の大谷さんを訪ねた。

前回の記事 東山に、書生を訪ねる

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仕事のお昼休み、食堂でテイクアウトできる唐揚げカレーを買って自分の机のある部屋に戻って食べる。前日に書生を訪ねてその様子をブログに書いていたので、大谷さんはきっとみやこめっせでネットにつないで読んだはずだと思いながらiPhoneからブログが更新されているかどうかを確認するとやはり更新されている

記事を読みながらこれは一体何なのかと驚きとも何ともつかないような心持ちでとにかく読み進める。一文一文を読むごとにぼくがあの和室で体験したことの答え合わせが書いてあるようで一体これは何なのだろうかとやはり思いながら読み進める。

スイカが置いてあったのも焼酎は空だったのにウォッカが余っていたのも見覚えのない扇風機があったのもコップがたくさんあったことも全ての理由が明らかになっている。これはもう同じ場面を違う登場人物の視点から描いた小説としか思えなくて、いや確かに小説のようではあるのだけれど事実であって、けれど読んでも読んでも「interesting男」が実在するような気がせず不思議な感覚になる。事実は小説よりも奇なりという言葉があるけれど、小説と比較される対象としての事実という扱いなのだけれどもうこれは小説のような事実であって事実のような小説だ。

あのアパートにはぼくたちのほかに住人がいて、というかぼくたちは毎日暮らしていないので住人と言えるかどうか怪しいのだけれど確かにほかの住人がいて、物音がするたびにその存在を感じてはいて、けれど実際に姿を見たことのある人は少なくてまさかいきなり扇風機をくれたり部屋に入ってきて一緒に飲んだりしているという光景がありありと想像出来るのだけれど現実感がまるでない。

うわあ、と声にならない声を唐揚げカレーを食べながら出して唐揚げをつつく。

夕方仕事終わりに大谷さんから着信が入っているのがわかってかけ返す。もうなんというか半ば興奮状態で少しの間話す。もう答え合わせかと思うようなブログでしたよ。現実とは思えないですよ。昨日現場にいた友人のむっきーと今日も一緒だというが人と会う用事があって行くことができない。これだから予定を入れるとこういうことが起こってしまうというようなことを思いながら電話を切る。

2015年7月30日木曜日

東山に、書生を訪ねる

今日は友人の大谷さんが書生をしてみているということで、仕事終わりに東山の和室に行った。

地下鉄烏丸線、四条駅で降りて地上に上がりバスに乗って東山仁王門へ行く。烏丸御池で東西線に乗り換えた方が早く着くけれど、市バス定期があるので多少遠回りでもバスに乗るとお金がかからない。職場を出て1時間くらいで到着した。

住人の共同玄関にある靴箱を開けると、靴はなく大谷さんは不在だとわかる。

階段を上がって部屋の窓から中を覗くと、普段は何もない畳に荷物が転がっている。鍵を開けて部屋に入ると蚊取り線香の匂いがして煙がたちこめている。ナイフで切り取った跡がある食べかけのスイカがお盆の上にある。コップや湯飲みが5個ほどあちこちに置いてある。大きめの皿には何かの汁が残っていて箸がある。壁沿いに固まっている寝袋、ポカリスエットのボトル、白霧島の瓶はほぼ空いていてスミノフの瓶にはまだ3分の2ほど中身が残っている。本が3冊ほど積んでありタイトルを見ると大谷さんがブログで言及していた本だとわかり、やはりここには大谷さんが居たのだとわかる。しかし本の下にあるパソコンらしきものに見覚えがなく、これは誰の持ち物だろうかと思う。

コンセントにはMacのACアダプタが刺さったままになっていてMacは見当たらない。すぐそばに見覚えのないイヤホンとクリップ式の小型扇風機が転がっている。ぼくは大谷さんの持ち物をもちろんすべて知っているわけではなく、けれど部屋に残されたものに見覚えがあると安心し、見覚えがないと不安な気分になる。この部屋には一体だれがいたのだろう。ほんとうは湯飲みの数、5人ほどさっきまで人がいて宴会でもしていたのではないか。

扇風機のそばにはやはり大谷さんの持ち物だとわかるクリップ式財布と、小銭が種類ごとに並べられている。見覚えのあるcarapaceのリュックが台所のそばに置いてある。おそらく洗って干した後と思われる甚兵衛が転がっている。

ここまできてぼくは何かの事件に居合わせた登場人物のような気分になる。この持ち物から読み取れることは何だろうか。一応行く前に大谷さんに電話しておこう、と思って電話してから1時間が経つけれど返事がなく、クリップ財布も置いてある。電車に乗ってどこかに行ったわけではなさそうだ。本を1冊だけ持って図書館にいるのかもしれない。いや、電話がないところを見ると銭湯にでも行っているのかもしれない。手ぬぐいだけ持って汗を流しに行っているのかもしれない。

と考えて、ぼくはどのタイミングで外に出ようかと考える。このまま待っていて大谷さんが帰ってくる様子を想像すると、自分が座敷童か何かのような気分になって少し楽しい。ここに来たのは大谷さんがここにいると知っているからだけれど、会うことが目的かというとそうでもない。会えないなら会えないで、そのまま帰ってもいい。お腹が空いてきたので、ごはんも食べたい。

このあたりで急に体温が上がってくるのを感じて、逃げるように部屋を出た。白い麻の無地のシャツの裾をズボンから出し、靴下を脱いで古着屋JAMで買った茶色のスラックスの裾を3回捲り上げる。ビルケンのロンドンを裸足で履いて外に出ると風が通って気持ちがいい。ぼくは仕事終わりにここに来たけれど、気分は旅行者だ。

風を浴びてほっとするとお腹が空いてきたのでイオンに向かって食べ物を調達することにする。この暑さで部屋に戻って食べる気にはなれないので、二条大橋のそばの河原で食べることを決めて店に入る。割引で300円の助六寿司と88円のトップバリュ発泡酒を買って河原に向かう。

横断歩道でクールビズ姿のサラリーマンと並ぶ。ふらっと来ることを決めて、今こうして旅行者のように歩いていられることが嬉しくなる。河原に座ると辺りは暗くなってきていて、正面にはリッツカールトンの客室が見える。いくつかの部屋はカーテンが開いていて灯りを背に宿泊客の影が見える。カーテンが自動で開閉しているのがわかる。

外国人バックパッカー2人組や、犬の散歩をするおじさんや、仕事帰りの人が横切っていく。ぼくは発泡酒を飲みながらいなり寿司をつつく。今日ちょうど職場の人と「海外に行くならどこか」みたいな話をしていてぼくは特別海外に行かなくてもいいやという気分になっていたことを思い出す。今も十分、なんというか異空間にいる。日常と非日常の境界、仕事とプライベートの境界、そういう境界が曖昧になる危うい空間にいる気がしていて、この感覚を味わえる条件は家から、職場から1時間の場所に出来てしまっている。もっと境界を曖昧にするようなことをしてやろうという、悪戯したくなるような気分になる。

そういうことをブログに書きたくなってきて歩き始める。部屋に戻ってもし大谷さんがいれば話せばいいし、いなくても今日はノートPCを持ってきているので部屋で書いてネットに繋がる場所で更新すればいい。部屋にあったスミノフを飲みながら書きたい気分だったのでつまみを買おうとイオンに寄ろうとするけれど助六寿司のゴミを持ったままだったので店内に入る気分にならずそのまま部屋に戻る。

部屋に戻ると考える間も無く荷物をまとめたくなるほど暑くてほんとうに荷物をすぐにまとめて部屋を出た。ここまでくるともう、道端やみやこめっせ、図書館周辺で大谷さんにばったり出くわすようなことがなければ帰るつもりになっていた。案の定そういうことはなく、バスの時刻を見て美術館前で飛び乗って帰る。

2015年6月6日土曜日

京都を旅する

今日も平日と同じ時間に目が覚めた。けれど予定もないので二度寝して、10時頃から動き始めた。朝食を取って一通り部屋の掃除をしたあと、さてどうしようかと思う。ここ2ヶ月は布団を床に敷いて寝ているので、ベッドを処分しようと思っていた。けれど何だか気持ちが向かない。とりあえず、友人の結婚式の出欠ハガキを出しに近所のポストまで歩くことにした。ものの2分でポストへの投函を終える。目の前のコンビニに寄って雑誌を立ち読みして、カフェオレを買ってぶらぶら歩いた。

川沿いに来たところで、ふとpha氏のブログ記事「一人で意味もなくビジネスホテルに泊まるのが好きだ」を思い出した。この土日は予定が流れたので、ちょっとやってみたい。電車でふらっと行けそうな場所はどこだろうと想像しながら、住宅街を抜けて自宅に戻る。和歌山、姫路…色々想像するけれど「東山の和室でいいのでは」と思えてしまう。そうか。一泊するかどうかはともかく、なんとなく自宅にいたくない。家を出たいのだ。そう気がついたので、リュックにいつもの荷物と下着類、パソコン、充電器類だけ詰めて家を出る。気が向いたらどこかで一泊するかもしれない。3時間くらいで家に帰って来てもいい。

とりあえず最寄りの駅に向かって歩き出す。駅の真上に高速バス乗り場があることを、歩きながら思い出す。片道3時間くらいで行ける場所にバスが出ていれば、ふらっと乗ってみたい。そうだ、電車に乗って移動するのはなんだか気が向かなかったけど、バスならいいかもしれない。そんなことを考えていると、時刻表の前に着く。ほとんどのバスがすでに出発しているか、次の便まで3時間ほど待つ必要があった。唯一乗れそうなのは40分後の広島行きで、駅のwifiを使って所要時間を調べると、6時間。これは長すぎる。顔を上げると雨が降り出していた。傘もないので、今さら自宅に戻る気もしない。とりあえず、改札を抜けてホームの待合室に入る。京都方面であれば定期券範囲内なので、お金をかけずに移動できる。気が変わったら帰ってきたらいい。そう考えながら文庫本を開くと、ほどなく電車がやって来た。「これに乗れば景色が変わる」という期待のようなものが生まれたので乗ることにする。

通勤の場合はいつも特急に乗り換えるけれど、今日は急ぐ必要がない。準急列車に乗ったまま少し眠る。駅に到着し、改札を抜けて地上に出る。そう言えば近くのCDショップが改装されてカフェと一体になっていたので少し見てみたい。店内は1階がカフェ、地下がCD・本・雑貨屋になっていた。本の配列や、置いてある文具や、照明のどれもがおしゃれな感じだ。なんとなく店内をぶらつく。興味のあった本を見つけて手に取る。けれどレジには向かわない。特に欲しいものがないということは最初から分かっていたので、店を出る。とりあえずお昼を食べたいと思って歩き始める。なんとなくラーメンが食べたいような気がするけれど、スーパーで買出しして東山の和室で食べてもいい。通りを歩いていていると、服屋が次々と目に入る。街や店からは強い引力が働いていて、どんどん店に引き寄せられるような気がしてくる。僕はかろうじて、地下鉄東山駅そばにある和室の引力によってバランスを保って、店に入らないまま歩いている。特に今服が欲しいわけではない。

少し歩くとちょうどバスが停留所に来た。祇園方面に向かうバス。僕はドアが閉まる直前に飛び乗る。バスは走り始める。どこで降りるかは決めていない。さっきまで歩いていたのに、今は倍以上のスピードで走っている。「バスを待った」という感覚がないので、歩く延長でワープでもしているような気分になる。祇園まで行こうかどうか迷ったけれど、スピードが変わった楽しさを感じられて満足していた。バスの定期を提示して、四条京阪で降りる。鴨川沿いを歩こうと思ったけれど、川端通の東側に降りたので戻るのが面倒だ。とりあえず祇園の街に入る。夜の街の昼の姿はなんだか不思議だ。スナックやバーの看板が連なっているけれどネオンは灯いていない。空が青い。ほとんどの店が準備中か閉まっている。夜は多額のお金がここで動くはずなのに、その気配がない。誰も僕にお金を使えと要求しない。使おうとしても、使えない。ゴツい外車に乗ったスーツ姿の男性、修学旅行生の5人組、ジョギングする夫婦、外国人バックパッカー、着物体験姿の女性グループ。リュックを背負ったジーンズ姿の男。

祇園の街を徘徊して疲れたので、昼ごはんを食べることにする。めぼしい食事処もなく、やはりスーパーに寄って東山の和室で食べることにする。ごはんと、レトルトカレーとコロッケを買う。お腹を見たして2時間昼寝し、今これを書いている。みやこめっせに来たので、更新する。








2015年5月26日火曜日

針が振り切れていて書けない。


文章が書けない。

最近考えている「無能」であるということについて書きたくなったけれど、なんだかよく分からなくなってしまって、3回くらい書き直した。もう4回目だ。疲れてきた。それでも何かを書こうとしているのは感じていて、その源泉を探り当てるのにとても苦労している。

この間東山の和室に大谷さんと一緒に二泊してきた。特に何をするでもなく、お腹が空いたらイオンやフレスコで食事を調達して、眠たくなったら寝て、目が覚めたら話をして、外の空気に当たりたくて河原を歩いて、銭湯に行って散歩して、夜中に酒を飲んだ。人と合流して話もした。

あの和室に長時間居るのは「修行みたいだ」と冗談半分で言っていたけれど実際にそれに近いものがある感じがしていて、あらゆるものの解像度が高くなってくる。散歩に出て「風景が変わること」が娯楽に思えてくる。飲み物を買うためにコンビニに行って「自分が何を飲みたいか」が分からないことが引っかかって、すごく選ぶのに時間がかかる。自分の発した言葉が空間にずーんと残る感じがある。

こうして書いていて、どうして書けないのかが分かったような気がする。和室から出てから、身に起こっていることの処理が追いついていない。物や予定や意味が極度に「無い」状態に居続けて、感度が上がっている。その状態のまま外界からの刺激だけが膨大に増えているので、キャッチしきれない。地震計の針が振り切れてしまっている。

前から、この和室は『ドラゴンボール』の「精神と時の部屋」みたいな感じがするなと思っていた。あそこは外界と時間の流れ方が違っていて、生涯で2日間しか入っていられないらしい。「精神と時の部屋」から出てきた悟空と悟飯を見たベジータが「あいつら、ごく自然にあの状態(スーパーサイヤ人)でいやがる…」と驚いた場面が印象的なんだけれど、あんな感じで、決して派手なことは起こらないけれど淡々と、平熱のまま戦えるようになる変化が起こっているような気がする。

ドラゴンボールは小さい頃すごく好きで、何かつながるものがある感じがして嬉しくて、書きたくなってしまった。

2015年5月13日水曜日

「意味の世界の外」に暮らす人たち



この間の日曜日、円坐に参加した。けれど直前まで「体が疲れているから家で寝てようか」「いや、自分が借りている東山の和室でやるなら行ったほうがよいのでは」といった具合に行くかどうか自体を迷っていた。その前日ゼミに参加して自分の中のモードが変わった感じがあって、その状態になるとすんなり「行こう」という風になった。おもしろい体験をしたな、と思っている。

 *円坐については、小林けんじさんのブログに詳しく書かれています。

「かけた労力分だけちゃんと帰ってくる」とか「この選択にはこういう効果や意味がある」とかいう考え方を、最近ぼくは「意味の世界の論理」と勝手に呼んでいる。もちろん世間のほとんどの物事はこの論理の上に乗っかって成立していて、日夜その論理によって物事が決まったり動いたり生み出されたりしている。円坐に行くかどうか迷っていた僕は「意味の世界の論理」に絡まっていた。

ぼくが日曜日に体験したのはこの論理の外側にあるもので、それが何かと言われると説明がつかないのだけれど、とにかく「意味の世界の外」だとは言える。「意味の世界の論理」から外れた時に駆動した何かがある。

ゼミで読んでいる『無縁・公界・楽』(網野善彦)は、日本中世の時代に息づいていた「無縁」の原理について書かれている本なのだけれど、網野善彦は「これでもか」というくらい判物や掟書といった書物を取り上げる。現代の感覚からすると掴みにくい「無縁」の世界を、現代の論理から逆転する形で描き出していく様子は本当に鮮やかで、こんな文章表現が可能なのかとひっくり返りそうになる。

今という時代は、江戸時代から続いてきた「普通の常識」が通用しなくなってきている「転換点」だと網野氏はいう。だとすれば、後の時代に生きる人たちは今の時代と全く違う常識で暮らしているのかもしれない。そして、今の僕たちの暮らしの「常識」は理解しがたいものとして映るのかもしれない。ちょうど僕たちが「無縁の原理」をすんなりと理解できず、網野義彦の視界を借りながら、どうにかこうにか読み解こうとしているように。

後の時代に生きる人は「意味の世界の外」に暮らしているんではなかろうかと空想している。根拠はないけれど。


2015年3月28日土曜日

「仕事」や「働く」について話す場を開いた。



昨日、仲間内に呼びかけて「仕事」や「働く」について話す場を開いた。
6畳の和室に8人で坐って、ただ話した。

なんというか、すごい体験だった。
この時間のことを安易に言葉にしてしまうことに抵抗もあって、
ブログに書くようなものなんだろうか、という気もする。

「こういうことがわかった」とか「これが見えた」みたいに
表現してしまうのは嫌で、
それでも何かを書き残しておきたいという気持ちになっている。

場を開くまでは、
僕の話をどのくらいして始めようか、とかを考えて、
きっと事前に考えてもあまり意味がないと思って、やめて、を繰り返していた。

開いてみると、
自分の話しかしてないぞ、自分でも何を言いたいかわからなくなってきた、
わざわざ皆来てもらったけどこれでいいのかとか、
自分が丸裸になっていく怖さとか、そういうものが一挙に迫ってくる。

終わってみて、
一人では到底見えなかったものが見えている感じがあって、
今回来てもらったメンバーに助けられたというか、
でも「情けをかけられた」という感じも、
最初気にしていた「僕の話につきあわせている」という感じもなくて、
同じ船に乗っている仲間になれた感じがあって、
その言いようのない嬉しさと、心強さと、エネルギーを使い切った疲れと、
自分の中身が入れ替わったような気持ちよさが残っている。

今は、見えているものを、
ずっと書き続けている「僕と仕事」に書いてみたいという気持ちでいる。

2015年3月15日日曜日

「歩き方」を思い出した。

最近、歩くのがたのしいなあと思う。
「歩き方」を間違えなければ。

そうそう。こんな感じ。

脚を真ん前にまっすぐ出す、というよりも
つま先を斜め前に放り出す感じ。

かかとで地面を捉えてつま先で蹴り出す、というよりも
かかとはやや地面に擦るくらいの感じ。

身体が前にずんずん進む、というよりも
横に揺れるような感じ。

手は前後に振る、というよりも、
ももの上でリズムを取るような感じ。

* * *

最近、「仕事のために駅に向かう」ことが多かったからか
心なしか足早になっているのに気がついた。

いつも通りの時間に家を出ているので
普通に歩けば間に合うはずなのに
カツカツカツカツ、大股で、一目散にまっすぐ歩いていた。

以前よくやっていた歩き方だ。
なんだか気持ちよくなかった。

* * *

昨日、東山の和室にふらっと行った。
大谷さんの言う「無い」で満たすというのをやりたかった。
やる必要があった。

何もない和室で一通りぼーっと過ごして、
少し書きものをして、独り言を録音して、聞いて、
スーパーに寄って、和室に戻るか迷ったけれど、やめた。

その帰りがけ。
「あっ、そうそうこんな感じ」

思い出せてよかった。

2015年2月16日月曜日

和室にて

東山の和室に寄った。

リュックを置いて
お湯をわかす。

湯のみで手を温める。

畳に寝転ぶ。

しばらく天井をながめる。


顔を上げる。

壁が夕日を受けている。

ため息が出る。






2015年1月26日月曜日

布団で寝れると嬉しい。

自宅に帰ると猫に会えるのも嬉しい。


このあいだ2日間、自宅に帰らず連泊していた。

1日目の夜は東山の和室に、2日目の夜はまるネコ堂に宿泊。

東山の和室では寝袋を使った。2枚使えば暖は取れるけどお尻が痛い。
まるネコ堂では布団を借りた。あったかいしお尻は痛くないしですばらしかった。

「寝袋ひとつあればどこでもやっていけます」とはよう言わんな、と思う。

では東山の和室に布団を置くことを考えるかというと、それも違うなと思う。
布団で寝たかったら布団のある場所に帰ればいい。

次の日は自宅の布団で寝た。やっぱり布団で寝れると嬉しい。

2015年1月14日水曜日

東山の和室に一泊した。

以前、東山に借りた部屋を「六畳間と呼ぼうと思っている」などと書いたけど
なんだかしっくりこなくなってきたので取り消し。
特に呼び方は決めない。

先日その部屋に一泊したので、
そのときのことを書いておこうと思う。


昼11時半頃
出勤前におにぎりを食べに立ち寄る。
なんだか落ち着かず、PCで音楽をかける。
自分の空間になったような気がして、少し落ち着く。
廊下に音が漏れないだろうかと気になって、
部屋と廊下を行ったり来たりする。
おにぎりを食べて退室。

21時半頃
同僚の人と仕事場を後にする。
和室の話をすると「シェアハウスですか」と聞かれ
「ちょっと違うんです」といった会話をする。

22時前
岡田斗司夫が「漫画版エヴァも面白い」とメルマガで言っていたのを思い出す。
ブックオフに寄って、1冊108円のコミックスを数冊買う。

22時頃
記憶をたどって近場の銭湯を探す。
ほどなく1件見つかり、以前来たことのある銭湯だと思い出す。
「もう1件近くにあったはず」と思って十字路を曲がり、すぐに見つける。
こちらのほうが雰囲気がよく、入りたいと思う。
以前来た時はこの2件目が定休日だったと思い出す。
2件目の外観写真を1枚撮る。

22時過ぎ
湯冷めが心配で銭湯に入るか迷う。
とりあえず夕食とお酒を買うためのスーパーを探して歩く。
歩き回ったものの目当てのスーパーを見つけられない。
「風呂上がりならぜったい湯冷めしてたな」と少し安心する。
スーパーは諦め、和室を挟んで反対側のコンビニまで歩く。

22時半過ぎ
カップラーメンと発泡酒とつまみを買う。
「このこといつかブログに書くよな
 いかにもダメな人の夕食みたいでなんか恥ずかしいぞ」と思いつつも買う。

23時前
和室に到着する。
静かなので廊下を歩くのに気をつかう。
ガスヒーターを点けるが、寝袋に足を入れると寒くなかったので消す。
お湯が沸くのにとても時間がかかる。
和室仲間から電話があったのでカップラーメンを作りながら折り返す。
ラーメンをすすりながら漫画を読む。

24時前
トイレに行くため部屋を出る。
2軒隣の部屋からTVの音が聞こえる。
少し安心する。

24時過ぎ
歯を磨いて寝る。

深夜
寒さで目が覚める。
ガスヒーターを点けて寝袋を二重にする。
台所の窓から漏れてくる廊下の灯りと
真っ暗な窓の外が気にかかる。
ふと気味が悪くなってきて、頭の向きと寝る位置を変える。

翌朝
歯を磨いてトイレに行く。
持参したドリップコーヒーを淹れて飲む。
ずいぶん落ち着く。
隣人が起きたのか、物音がする。
なぜか自分の立てる物音が気になってすこし萎縮する。

日中、付近を散歩する。



2015年1月9日金曜日

部屋を借りた。

京阪三条から徒歩10分くらいのところに部屋を借りた。




ぼくを含めて友人と合計4人で家賃などを出し合って。
…という話を知人にしたら、「シェアハウスですか」と言われたけどちがう。

というのも、誰かが常に住んでいるわけではない。
最初のルールというかメンバー間の合意(※)だけがあり、
目指すところや掲げるものはない。
※このあたりについて、メンバーの大谷さんが端的にまとめてくれています

これってなんだろう。
あるものを自分だけで所有せず、各自が必要なときに必要なように使う。
カーシェアリングに近いのかも。和室シェアリングか。
これもなんだかちがうなぁ。
街中に、いつでも入れる六畳の和室を出現させたような感じ。
出現というとおおげさかな。

ここの呼び方はメンバー内で統一しておらず、
ぼくとしては「六畳間」と呼ぼうと思っている。

上にも書いたように特に目指すものがないので、
この六畳間に関して起こったことや、
見えている景色を記録していこうと思っている。

とりあえず今あるのは「借りた動機」なので、これを記しておこうと思う。

・今かかわっている仕事場がすぐ近くだということ。
 仕事終わりに徒歩10分で帰れて、そのまま寝れる場所があるのは魅力的。
・実家以外に過ごせる拠点があるっていいなと思うこと。
 気分を変えたいとき、自由に行ける拠点があるとよさそう。
・なんだかわからないけど、おもしろくなりそうだと思ったこと。

このくらい。
と言いつつも上2つはけっこう後付けというか、
これだけの理由ではわざわざ家賃出して部屋を借りないような気がする。
1時間で帰れる実家があるのに。

結局、3つめが大きいのかなという気がしてくる。
昨日はここに一泊したので、そのときのことはまた別の記事に書こうと思う。