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2016年1月31日日曜日

空白にできる染み

「僕と仕事」という記事を、ちょうど去年の今頃書いていた。

もう1年も経つのかと思う。そしてここに書かれている内容自体はほぼ2年前の出来事からスタートしているので、やはりもうそんなに経ったのかと思う。

自分がもう道具のようになって動くことには、道具として機能した時の手ごたえを感じられる確かな心地よさがある。その流れに乗ってしまえばある意味何も考えなくていい、というか考えていられないようなすーっと平行移動していくような感覚があって、それはそれで悪くないなとは思う。

道具としてどこまで精度高く機能できるか、みたいなこと試してみたい、という気持ちもある。それを試そうという気持ちにもならず、とにかく生き延びるのが必死というほど追い詰められている状態のときが過去にあって、それを思うとああ、あの時はそういう試みをしようと思えるような状態ではなかったんだなということも思う。

けれどぽかっと空白ができた時に、このままでいいのだろうか、このままではやばいのではないか、という感じがどこからともなくやってきて、落ち着かなくなる。

と、ここまで書いていて友人から電話があって途切れた。

書こうとしていたことがあったと思うのだけれど、ぼんやりと薄れてしまった。

ええと、そうだ、空白のことを書こうとしていた。

空白を空白のまま置いておくというのはなかなか難しい。空白のエリアには、外からの意味づけの力が常に染み込んでくる。外には目に見える根拠があってそれなりに社会的には多くの人が信じている事柄だったりするので、その染みをみてぼくは「ああ確かに、言われてみればそうだ」という気分になる。

ここまでくるとその染みを染みとして捉えて取り入れてみるのもありだし、染みは染みとして外部に置いたままにしておくのもありだ。

というか染み出してきている時点でその境目は曖昧で、もう染みとしてそこにある。空白のままでなければいけない、とか、染みの部分を絶対的なものと捉えて傾倒しなければいい、とか、そういうことをつい考えてしまうのだけれど、「こちら側に染みてきている」という書き方をしている時点で自分がどちらに立っているのかがわかる。

これでいったん十分だと思う。

2015年3月31日火曜日

「僕と仕事」(14)僕は「仕事」を辞めてはいなかった。

およそ1年前の、北海道の海。


【前回の続き】

そういう意味では、たぶん僕は「仕事」を辞めてはいなかったと思う。

勤めていた組織は退職し、
担当業務の中には全うできなかったものもあり、
収入も一時途絶えた。

ハローワークでは「求職者」、
キャリアコンサルタントからは「転職活動中」と呼ばれ、
一時期は友人に「人生の夏休み中」と説明した。

これらだけ見たら、ぼくは「仕事を辞めた人」だ。
僕もそう思う。

けれど、前の仕事を辞めたこと、
ご縁のあった仕事を辞退したこと、
そういう過程も含めて、僕にとっては「仕事」だった。
自分を全うして生きるために、必要な過程だと思える。

先日開いた場で、澪さんから
「ゼミも4月からの仕事も、やろうとしていること同じではないか」
という意味のことを言われた。
まさにそうだと思う。

「仕事」という言葉には、お金を稼ぐとか、
社会の構成員として認められるとか、やりがいを求めるとか、
人の役に立つとか、色々な要素が投影されている。


以前は、「仕事」にまつわるたくさんの要素を、
勤め先で担っている仕事に全てを投影していたような気がする。
けれど、そういうものを一旦横において
純粋に「仕事」というものだけを抽出してみると
違った景色が見えてきた。

これからも僕の「仕事」は続きます。

「僕と仕事」(13)自分として何かを全うし切るという「仕事」。他人に憧れている場合ではない。

リュック屋さんを始めた友人。
やっぱりかっこいい



前回のつづき】

以前は、フリーランスや、自営業のような動き方に憧れるというか、
その方がよいのではないかと思うこともあった。

これに限らず、周りの人の働きかたを見て憧れることもある。

「自分で創ったものを売る」ということ。
「組織内の役職が上がり、その責任を全うしようとする」こと。
「組織から離れて、自分自身で場をひらく」ということ。
「医者になると決めて、受験し直して合格する」ということ。

けれどそれらは、少なくとも今の僕がすべき・せざるを得ない「仕事」ではなく、
今、「どうしようもなく」それをしている・しようとしている人たちの
「仕事」なのではないか。

「どうしようもなく」というのは「不本意に」という意味ではなく、
「自分として、それを全うしようとしている」という意味で。

小林けんちゃんが、自身の結婚パーティで
「こんな風にしか生きられない僕たち」と言っていたのが忘れられない。

自分が今立っている場所で、自分として何かを全うしようとしている人は、
きっと「自分の仕事をしている人」だ。

そういう意味で「仕事」を捉えると、自分の「仕事」はもちろん、
自分以外の人がしている「仕事」がとても尊く、
愛おしく、敬意を払いたいと思えてくる。

憧れている場合ではない。

(つづく)

「僕と仕事」(12)死にたくないので、やらざるを得ない。

「仕事」や「働く」について話す場をひらいた、
東山の和室から見える風景。

前回の続き】

以前書いたけれど、「仕事」や「働く」について話す場を開いた。

これ以降「仕事」というものの見え方ががらりと変わってしまった感じがするので、
それについて書き残しておこうと思います。

* * *

僕はこの4月から、とある組織の職員として働くことになっている。

先日の場に来てくれたメンバーと色々と話す中で、
僕にとって今回の就職は「リベンジマッチ」だということがよくわかった。

勤めている組織の中で、どれだけ自分として率直に在り、
人と関わっていくことができるかの勝負。

僕は以前、苦しいとか、嬉しいとか、心配だとか、不安だとか、楽しみだとか、
そういう率直な感情を職場でほとんど表明できなくなってしまった時期があった。
息ができない感じが続いて、明らかに悪循環に陥っていて、
とにかく状況を変えるしかどうしようもなかった。

仕事自体にはとても意味を感じていたし、精一杯働いていたのだけれど、
そのほか色々なタイミングや事情なども重なって、仕事を辞めた。

仕事を辞めてからのこの1年間は、
人と会う・話す・文章を読む・書くといったことをやってきた。

先日の場で初めて気がついたのだけれど、
どの場面でも、「いかに率直な姿で居られるか」を試みてきた気がする。

こういう僕の振る舞いを見た友人からは
「体力・筋力がある」「分析していく感じがすごい」
「生きるのに真面目だ」と言われたけれど、
僕としては「やろうとしてやっている」というよりも、
どうあっても、やらざるを得なかったという感じだ。

これができないなら、死んでいるも同然という感じ。
なので、やりたいかどうかという範疇を越えて、
死にたくないので、やらざるを得ない。

これが、今僕がすべき・せざるを得ない
「仕事」なのではないかと思う。

(つづく)

2015年3月28日土曜日

「仕事」や「働く」について話す場を開いた。



昨日、仲間内に呼びかけて「仕事」や「働く」について話す場を開いた。
6畳の和室に8人で坐って、ただ話した。

なんというか、すごい体験だった。
この時間のことを安易に言葉にしてしまうことに抵抗もあって、
ブログに書くようなものなんだろうか、という気もする。

「こういうことがわかった」とか「これが見えた」みたいに
表現してしまうのは嫌で、
それでも何かを書き残しておきたいという気持ちになっている。

場を開くまでは、
僕の話をどのくらいして始めようか、とかを考えて、
きっと事前に考えてもあまり意味がないと思って、やめて、を繰り返していた。

開いてみると、
自分の話しかしてないぞ、自分でも何を言いたいかわからなくなってきた、
わざわざ皆来てもらったけどこれでいいのかとか、
自分が丸裸になっていく怖さとか、そういうものが一挙に迫ってくる。

終わってみて、
一人では到底見えなかったものが見えている感じがあって、
今回来てもらったメンバーに助けられたというか、
でも「情けをかけられた」という感じも、
最初気にしていた「僕の話につきあわせている」という感じもなくて、
同じ船に乗っている仲間になれた感じがあって、
その言いようのない嬉しさと、心強さと、エネルギーを使い切った疲れと、
自分の中身が入れ替わったような気持ちよさが残っている。

今は、見えているものを、
ずっと書き続けている「僕と仕事」に書いてみたいという気持ちでいる。

2015年3月25日水曜日

「僕と仕事」(11)

「『仕事』や『働く』について話す会」は
ここでやる。

前回の続き】

今日は「まるネコ堂」に来ている。

去年から続けているゼミのWebサイトをリニューアルしようということになって、
昼過ぎからずっと作業して、試作版ができた。
作ること自体も楽しくて、けっこう納得がいっていて、おもしろい。

目に見えるお金の流れはないけれど、
これはもう僕の中では完全に「仕事」だ。

* * *

「僕と仕事」というタイトルでここのところずっと記事を書いていて、
なんだか最近、急に書けなくなってしまった。
時系列でずっとこの1年間を追ってきて、
「現在」に近づけば近づくほど、その感覚を言葉にしようとするのが難しい。
少し書いても「あれ、なんかちがう」という感覚に襲われる。

今月27日に、近しい人に声をかけて
「『仕事』や『働く』について話す会」をやってみることにした。

「僕と仕事」を書き始めた動機も、この会をやると決めたことが大きくて
「書いていく中で何か分かるのではないか」と思い始めたからだった。

「なんとか27日までに、今の自分のことをまとめておきたい」
という気持ちが強く出て、なんとかして、何かを言おうとしていた感がある。

でもそもそも、ずっとこの1年間、もっと言えばもう5年くらい
考えてこざるを得なかったテーマについて、
そう簡単にまとまる方が変だなとも思い始めた。

もう、自分でもよくわからないという状態だけれど、
その感じも持ち込んで27日を迎えるしかないという気がしてくる。

2015年3月20日金曜日

「僕と仕事」(10)「事務局」のない企画

不思議の国のアリス (新潮文庫)
『不思議の国のアリス』を読みます。
4月25日(土)開催。参加申込受付中

前回のつづき】

年明け。

夏頃から参加し始めて、定例メンバーで続けていたゼミ

友人を交えてセミ・クローズドで開催したところ、
思いのほか手応えがあったので、
「今度は参加者を募ってみよう」ということになった。

ある日、ゼミの定例メンバーで打ち合わせの機会を持った。
京都市内のカレー屋でひととおり話し、
そのあと、メンバーの自宅、
メンバー共同で借りている東山の和室と、場所を変えて話を続けた。
各々にとってゼミとはどのようなものか。
参加費はいくらに設定するのか。
人はどのようにして募集するのか。

話の途中で、おもしろいことが起こった。
以前「事務局をやる」と宣言していたメンバーが、
この日「事務局やめます」と宣言した。

どのような経過をたどったのか、細かく思い出すことができない。
ともかく、それぞれが見えているもの・感じていることを
率直に差し出していった結果として、「事務局」がなくなった。

先日、メンバーから「事務局をやる」と聞いてから、
ぼくは今回のゼミに対して少し受け身になっていた。

「募集までの段取りに関しては、また連絡があるだろう」
「打ち合わせも、いつかやるだろう」

でも、どこか変な感じだった。
ここ最近のゼミは「参加」しているというよりも、
ぼく自身も「運営」している、場をつくっている一員だという感じがあった。
「事務局」ができたとたん、さーっとその感覚が引いていった。

この日、「事務局」がなくなったとたん
「ぼくの企画である」という感じが戻ってきた。
同時に、頭がまわり始めた。

「誰に声をかけようか」
「広報文をつくりたい」

広報担当も、受付担当も決めなかった。
根っこの部分だけ共有して、概要だけきちんと決めておき、
各自で広報文は勝手につくる。
勝手にそれぞれが呼びかける。

これまでにぼくが当たり前だと思ってきた企画のやり方とは違っていた。
お金になるという確証もない。
それでも「これは仕事だ」という感覚が、確かに手元にあった。

(つづく)


2015年3月18日水曜日

「僕と仕事」(9)

今年の年明けはすごい雪だった。

前回のつづき】

以前から関わりのあった組織が人を雇うことになり、
声をかけていただいた。

かなり前から雇用が生まれる可能性は聞いていて
「その時は」と言ってもらっていた。
ずっと頭にその件はよぎりつつ、答えを保留にさせてもらっていた。

一人で悶々と考えた。
何度か結論を出した気になったけれど、
何度も考え直した。

友人に相談した。
15分話をきいてもらって、その様子を録音して聞き直した。
家に帰ってみて、何度か同じことをやった。
夜中にSkypeをつないで、何時間も話した。

こういうことを何度も繰り返して、結論が出た。
というかずいぶん前から結論は出ていたのだけれど、
出ていた結論を受け入れることができた。

声をかけてもらった人との関係性とか、お金とか、今後のキャリアとか、
「仕事そのもの」以外の要素をあれこれ投影していて、
ほんとうのところが見えなくなっていた。

「果たし合い」をしにいくような、いや、
「果たし合い」はしたことがないけれど、
ほんとうにそのような感覚で、気持ちを伝えに行った。

今自分が見えているものを、なるべくそのまま差し出すように努力した。
「若いんだから、色々やってみたらいい」と言っていただけた。

残っていた可能性が、またひとつなくなった。

(つづく)

2015年3月17日火曜日

「僕と仕事」(8)

ゼミをしている時の視界。
前回の続き】

秋。

ブログを書き始めた。
以前つくっていたブログに、数年ぶりに記事を投稿した。
携帯電話に関して、実験してみたことを書いた
誰かに見てほしいような、
でも「見て」と言うのも違うような、複雑な感じだった。

ある日大谷さんと話していて
「そのこと、ブログ書いてみたらいいのに」と言われた。
「実は最近書き始めていて」と言って、読んでもらった。
「おもしろいね」と言われた。
もっと書こうという気になった。

ゼミにも参加し続けた。

担当回のレジュメ・毎回のコメント・レポートを書くことが
「勝負」のような感覚になっていた。
見えているものをできるだけそのまま書く。

毎回のゼミも勝負だった。
見えているものをできるだけそのまま言う。
終わる頃には、1人では到達できないところに到達している。

「読む」「書く」「話す」ということに関して、
ぼくがそれまで知っていたものとは、
違った地平が広がっているのが見えてきた。

ある日、ゼミのメンバーが
「レジュメを作ることのほうが、よっぽど仕事っていう感じがする」と言った。
なんだか分かる気がした。


(つづく)

2015年3月16日月曜日

「僕と仕事」(7)「ゼミ」と出会った。

ゼミで読んだ本。
ゼミとの出会いで、僕は読むこと・話すこと・
書くことを取り戻した感じがする。

前回の続き】

8月。はじめて「まるネコ堂」、大谷さん澪さんの家に行った。

4月にハローワークに行ったとき、前の仕事で知り合った方と偶然再会した。
近況を聞くと、仲間と本を読む「ゼミ」という集まりをしているという。
8月のこの日、ちょうどゼミ後にモツを焼いて食べるというので行ってみた。

この日はゼミ1冊目の最終回「合宿」だった。
ぼくは昼間の用事を終えて、夜に合流した。
庭の七輪でモツを焼いて食べた。

学生時代のゼミの話をした。モツを食べた。
ゼミ1冊目のパウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』の話を聞いた。
僕はこの本を読んだことがなかった。

ブラジルの教育者が書いた本の感想が話されているのに、
その内容は「教育」でも「ブラジル」でもなかった。
僕には、ゼミの面々の人生そのものが語られているようにきこえた。

「ビール、飲みたくなった時に買った方が美味しいかと思って買ってないねん」
近所のフレスコまで歩いて、ビールを買いに行った。
モツもビールも美味しかった。

室内に移ってしばらく話した。
何を話しただろう。上勝に行った話、親の話、職場の人間関係の話。
その日はそのまま泊めてもらった。

翌朝。次に読む本は保坂和志『考える練習』だと知る。
本も著者も知らなかった。本に目を通してみた。

いつ「ゼミに参加する」と決めたのか思い出せない。
ともかく、家を後にする時には、次からゼミに参加することにしていた。

それ以来、大谷さん・澪さんのブログを読み始めた。

ぼくもブログを書いてみようか、と思うようになった。

2015年3月14日土曜日

「僕と仕事」(6)

尾道にも寄った。
あてどなく坂を登った。

前回の続き】

「したいことをしよう」と思って、
好きな音楽を聞きに、ライブにもあちこち行った。
広島、福岡、愛知、大阪、東京。
行く先々で、昔からの友人にも会った。

結婚1年目で引っ越して間もない友人と、小倉の町を自転車で探索した。
商店街をまわって、おでんを買った。結婚と仕事の話をした。

車で迎えに来てくれた友人と、味噌カツを食べながら話した。
勤め始めた時は色々あって、思うところもあるど、今はなんとかやっているという。

僕が就職する直前に会ったきりの仲間と、秋葉原で飲んだ。
スタイリッシュな職場の名刺をもらった。彼女は来年結婚するのだという。

近々フランスに修行に行くという料理人の友人と、ラーメン屋で話した。
渡欧すれば、次はいつ帰国するか分からないという。

東京のライブのチケットが1枚余ったので、初対面の男性に譲った。
開演前に、席で少しだけ話をした。
希望するテレビ業界で仕事をしていたが、体力的に厳しく転職したらしい。
今の仕事はキャリア相談に乗る仕事だという。
ぼくは5月頃の「転職活動」を思い出して少し縮こまった。

終演後、人ごみの中を2人で駅に向かった。
話していると、彼の職場は僕が務めていたところと近い業界だとわかった。
カフェに入ってお互いに話をした。
やりたい仕事に就くということ。仕事をする環境のこと。
人間関係のこと。自分の能力のこと。人の役に立つということ。

握手をして、Facebookのアカウントを伝え合った。
彼は終電ギリギリで帰っていった。

僕はその後の予定に少し遅れた。

(つづく)

2015年3月13日金曜日

「僕と仕事」(5)

研修の事務局仕事で久々に行った兵庫県の三田。
よく晴れていた。
前回の続き】

夏。

知り合いから、個人としてぽつぽつと仕事をいただき始めた。
研修のプログラムづくり。通信制高校の授業。イベントのグループワークの進行。
過去に参加した研修の事務局も手伝わせてもらった。
声をかけてもらって、そこに応えていけることが嬉しかった。

4月末から始めていたアルバイトにも、少し慣れてきた。
前の仕事で出会った方から声をかけてもらって、始めていた。
「同僚」がいるということが嬉しかった。
先輩の言葉や仕事ぶりが素敵だった。
まわりの人の動きを見ながら、自分のできることを返していく手応えがあった。

前の仕事でお世話になった人たちと、久しぶりに再会することも増えていた。
「最近どうしてるの?」「そうかあ、やりたいようにやれてるなら、いいね。」
「いろいろあったんやなあ。」「今はじっくり考える時期なんやね。」
組織から離れても、一人の人として関わってもらえている感じがした。

出会い直しができたような気がして、嬉しかった。

(つづく)

2015年3月12日木曜日

「僕と仕事」(4)いったん、休むことにした。

島原の港を出た船から見える雲仙普賢岳。
九州は大地の力を感じる。

前回のつづき】

いったん、休もうと思った。

「いつまでに仕事を決める」と考えるのをいったんやめて、
行きたい場所に行き、会いたい人に会い、したいことをしようと思った。

長崎に住んで働いている友人が、「一緒に働かないか」と言うので行ってみた。
前から遊びにおいでと言われていたので、
仕事を探すというようりも、ただ友人を訪ねるつもりで行った。
友人行きつけの店のケーキを食べた。地元の魚を食べた。熱い温泉につかった。
翌日の祭りで披露される予定の、地元の人のオリジナルソングもきいた。
いい歌だった。そう伝えたら友人がmp3のデータをくれた。
ちゃんぽんを食べた。山に登って友人の仕事の話をきいた。海が見えた。
友人の昔の同級生も訪ねてきて、初対面ながら色々話した。お酒ものんだ。
一泊して町をぶらついた。地元出身でUターンしてきたデザイナーと話した。
土地のこと。仕事のこと。夕日を見ながら足湯につかった。

その流れで高校時代の同級生と合流して、また別の友人を訪ねて鹿児島に行った。
久々の再会だったので、この数年であった出来事について話した。
移住のこと。恋人のこと。住まいを開くこと。
友人の同僚も加わって飲んだ。仕事の話を聞いた。失恋の話を聞いた。
瓶ビールのこぼれた僕のズボンを、コインランドリーで洗濯した。
友人は車で空港まで送ってくれた。「その方が最後まで話できるかなと思って」

また別の友人に「滋賀にあるログハウスの使い方を考えたい」と声をかけてもらった。
一泊して、ぽつぽつと話をした。ふらふらと散歩をした。
「ログハウスの使い方」についてはあまり話さなかった。
でも、満たされた気持ちで帰りの電車に乗った。

徳島の山奥にも遊びに行った
ボールもないのに「エア野球」をした。沢登りをした。
川魚を焼いて食べた。山にも登った。ホラ貝を吹いた。
ヤッホーをした。道に寝そべって星を見た。
木の実を取って食べた。円坐をした。
たき火のそばでぽつぽつと話をした。親や職場の話をした。
僕は「今、死んでない 生きている感じがする。」とつぶやいていた。

京都に戻り、2回目の失業認定のためにハローワークに行った。

(つづく)

2015年3月10日火曜日

「僕と仕事」(3)「転職活動」をした。

5月には結婚パーティの手伝いもさせてもらった。
ほんとうにいい会だった。関われて嬉しかった。
前回の続き】

5月。もやもやした気持ちを抱えていた。

とりあえず動き出さないと始まらないと思い「転職活動」を始めた。

ハローワークの履歴書作成講座に参加した。
民間の転職支援サービスに登録した。
面接の講座に行き、コンサルタントの面談も受けた。
企業に履歴書を送った。
想定される質問と答えをノートに書き込み、面接を何社も受けた。

NPOがやっているキャリアワークショップにも参加した。
仕事探しの計画づくりをした。がんばらなきゃという気持ちになった。
色々な境遇・背景で仕事を探している人と話をした。
少し気持ちが楽になったような感じがした。

大学時代の友人にバーベキューに誘ってもらった。
友人の会社の同僚がたくさん来ていた。
自己紹介すると「こんなとこ来てないで仕事探さないと!(笑)」と言われた。
冗談なのは分かっているけれど。

知り合いから「フリーランスでやっていくなら、こんな仕事もあるけどどう」と、
ある大きなイベントの事務局仕事の話も聞かせてもらったこともあった。
個人としてはとても担いきれない感じがして、やれなかった。

これまで数回しか会っていないけど、会いたかった人たちに会った。
「前に出会った時は『組織からきた人』って感じがしたけど、
 今のほうがちゃんと出会えてる気がする」と言われた。
とても嬉しかった。

面接を重ねた結果、1社から内定をもらった。
けれども、結局、辞退した。

風邪をひいても滅多に熱を出さないのに、面接の続いた最終日に高熱を出したこと。
内定が出たことをとある人に相談したら、やっていけるかとても心配されたこと。
そのあと、なぜかどうしようもなく気分が落ち込んだこと。
いろいろな人に話をきいてもらって、結局辞退した。

精神的に負担になっていたので、転職支援サービスの利用もやめた。

電話でコンサルタントからこう聞かれた。

「では、利用停止の理由は『転職活動をやめる』ということでよろしいですね?」

(つづく)

2015年3月9日月曜日

「僕と仕事」(2)仕事をやめた。

寝床を求めて、ロシアから飛んで来る渡り鳥(マガン)。
この後すごい数が頭上を通った。この日は8万羽来たらしい。

前回の続き】

4月。仕事をやめた。

実際には引き継ぎが少し残っていたので、数日はパソコンに向かって作業していた。
この期間はまだ「仕事をやめた」という感じがしなかった。

残務処理が終わると、とうとう「すること」がなくなった。
最初のうちは「長期の休みを取った」ような感覚だったのが、
「明日も予定がない」ことでだんだん不安になってくる。

そんな日々をしばらく過ごしてから、北に飛んだ。
地方に住みながら働く友人が「よかったら働かないか」と声をかけてくれていたのだった。

「どうせ北に行くなら」と、当時好きだった朝ドラのロケ地を経由して行った。
移動中、フェリー乗り場近くの屋台飲み屋で偶然出会った年配のおっちゃんと話をした。
「なんで仕事辞めちゃったのぉ!」「そうかぁいろいろあるよなぁ。」
「仕事、見つかるといいなぁ。」

高卒で工場の仕事をしている男の子と、その彼女とも話をした。
「少しずつ仕事任されてきて嬉しいんですよ」と頼もしく話す彼。彼を見つめる彼女。

友人の仕事先には何日間か滞在した。
「移住してくる予定の人」ではなく1人の友人として紹介してくれた。
その土地の人と会い、話をし、ジンギスカンを、カレーを食べた。
丘にも登った。町を見渡した。渡り鳥と夕日も見た。
山菜を取ってほぼ自給自足しているおばあちゃんにも話をきいた。
食べごろを少し過ぎたふきのとうが生えていて、それも食べた。

結局、そこでは働かなかった。帰ってからもずいぶん考えた。
こうして声をかけてもらっていることは嬉しいし、お役に立てるかもしれない。
でも、「行く」という感じに至らなかった。

可能性をひとつ捨ててしまったような気持ちだった。

(つづく)

2015年3月8日日曜日

「僕と仕事」(1)仕事をやめるまで。

4月の頭に金沢に行った。桜がすごく奇麗だった。

仕事や、働くということについて。

僕にとってはかなり大きな環境の変化だった「仕事をやめた」ことをスタートに、
何回かに分けて書き連ねていきたいと思います。

******

去年の3月、僕は仕事をやめた。
より正確に言えば、雇用されている組織を退職した。

やめるに至る理由はいくつかあったけれど、
とにかく「やめる」ということを決めた。

退職前に「やめる」と人に伝えると、色々な言葉が返ってきた。

「やめてからはどうするん?」
「早めに準備せな、転職市場は厳しいからなあ」
「次の次にどういう方向に進みたいかで、次が変わってくるね」
「転職活動、相談乗るよ」
「ひとまずゆっくりしたらいいと思うよ」
「経験が活かせる仕事に就けるといいねぇ」
「大学院とかは行かないの?」
「決まってなかったら、なんでもできるやん!」

僕としては「やめる」ということしか決めておらず、
「次どうするか」を考えられる感じでもなかったので、
「次は」と聞かれたら「一旦ゆっくり考えようと思ってます」と答えていた。
Faccebookにもそのように書いた。

とにかく、がむしゃらに3月は働いた。

(つづく)