昨日は祖母と叔母姉妹の家を訪ねた。うちは近しい親戚がほとんど大阪市内に住んでおり、「田舎に帰る」という言葉を使わない。以前祖父母が住んでいたのは繁華街の端にある古い一軒家だった。昔電器店をやっていた名残か、古いスピーカーや木製の棚があちこちに置いてあり、家に入るとどこか時間を遡るような感覚になることができた。数年前に祖父が亡くなってからは、叔母姉妹が祖母と大阪市内のマンションに同居している。建物も設備もぼくの自宅より新しいので、「遡る」感じはない。オートロックの玄関と奇麗で大きな洗面台にいつも戸惑う。祖父の仏壇に手を合わせてきた。お鈴の音は昔と変わらず、安心した。
今日は連日の食べ飲み過ぎで体調がおかしなことになっている。昼にうどんを食べたきり、寝たり起きたりしている。キリンジの『エイリアンズ』をずっと聴いている。同じ曲を短い期間に何度も聴き続けるというのはこれまでにもあって、そういう時はたいてい何かがひっかかっている。それが何かというのはよく分からない。いや、分かってはいるけれどまだ捉えきれていない。
憧れや執着というのはどこからやってくるのだろう。ゴールデンウィークに入る前はブログを毎日書き、本を読もうと思っていた。結局そのほとんどができなかった。できないならできないでいいと思っているけれど、できなかったという感じが残る。
「今しかできないこと」をする、という言い回しが横たわっている。今できていて、先々になるとできなくなること、という意味だろうか。でも未来そのものが分からないので、やっぱり分からない。ただ「今できないこと」なら分かる気がする。「しか」と言われたとたんに霞んでいく。
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