文章が書けない。
最近考えている「無能」であるということについて書きたくなったけれど、なんだかよく分からなくなってしまって、3回くらい書き直した。もう4回目だ。疲れてきた。それでも何かを書こうとしているのは感じていて、その源泉を探り当てるのにとても苦労している。
この間東山の和室に大谷さんと一緒に二泊してきた。特に何をするでもなく、お腹が空いたらイオンやフレスコで食事を調達して、眠たくなったら寝て、目が覚めたら話をして、外の空気に当たりたくて河原を歩いて、銭湯に行って散歩して、夜中に酒を飲んだ。人と合流して話もした。
あの和室に長時間居るのは「修行みたいだ」と冗談半分で言っていたけれど実際にそれに近いものがある感じがしていて、あらゆるものの解像度が高くなってくる。散歩に出て「風景が変わること」が娯楽に思えてくる。飲み物を買うためにコンビニに行って「自分が何を飲みたいか」が分からないことが引っかかって、すごく選ぶのに時間がかかる。自分の発した言葉が空間にずーんと残る感じがある。
前から、この和室は『ドラゴンボール』の「精神と時の部屋」みたいな感じがするなと思っていた。あそこは外界と時間の流れ方が違っていて、生涯で2日間しか入っていられないらしい。「精神と時の部屋」から出てきた悟空と悟飯を見たベジータが「あいつら、ごく自然にあの状態(スーパーサイヤ人)でいやがる…」と驚いた場面が印象的なんだけれど、あんな感じで、決して派手なことは起こらないけれど淡々と、平熱のまま戦えるようになる変化が起こっているような気がする。
ドラゴンボールは小さい頃すごく好きで、何かつながるものがある感じがして嬉しくて、書きたくなってしまった。
なんてことだ。最近めっぽうみんなブログを書かなくなっていて、ある友人になぜブログを書かなくなったのかを聞いた。そしたら、「発信すべき相手が見当たらないから。会社の情報を漏らしてはいけないし、仕事に関することはあまりニーズが見込めない。」と言っていた。
返信削除おそらくではあるが、今が楽しければそれでいいと思う。同じように僕もまた、忙しいというか書く動機づけが全く見当たらないので、ブログを全くといっていいほど書けていない。しかし、そこに落とし穴があると思う。
それは先ほど挙げた友人と僕に共通することなのだけれども、奥行きの深さが全くといっていいほどなくなっていることだ。それはおそらく解像度の低さと表現を変えられるのかもしれない。
僕にとって、ぱーちゃんは面白い存在である。それは、あなたの思考に新しさと懐かしさを覚えるからかもしれない。僕はあなたに刺激を受け続けています。常に考え続ける、そういうスペースを作るためにも、そのような四畳半の空間を持ち続けたいものだと感じました。
コメント嬉しいです。どうして僕は書いているのだろうと思ったけれど、うまいこと言える感じがしない。色々と理由は持ち出せるような気はするけれど、しっくりこない。少なくとも今こうして書き続けているということは事実としてあって、今日コメントを読んで嬉しくなってまた書こうという気持ちになっています。
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