前の記事の続き。
ギアが上がり続けているときはなんというかあまり記憶がない。時間が過ぎるのがすごく早く感じて、「もう2週間も経ったのか」とか思ったりする。けれどもさっき書いた「寄る辺なさ」とか「根拠の不確かさ」みたいなものは感じ取る余地がなくて、そういう場所が別のもので塗り込められていて、そういう不確かなものが見えない。
不確かなものが見えないというのはあながち悪いことばかりでもなくて、不確かさからくる不安みたいなものは感じなくて済むし、外からの刺激もあって面白かったりする。だから「こういうのもありか」とか思うのだと思う。
でもやっぱり本当におもしろいことというのは、そういうどうしようもない寄る辺なさとか不確かさをひりひりと感じながらそれでも何かしている時なんだろうなと考えたりする。
「やりたいこととかあるんですか」と聞かれると最近いつも困っていて、結婚しますとか起業しますとかこういう業種の仕事をしたいんですとか、そういうことを言える気が全然しないんだけれど、「寄る辺なさに浸ろうと思います」なら言える気がする。でも言ってもおそらくあまり理解されないんだろうなと思う。
寄る辺がないので、その状態で何が起こるとか何をするとかそういうことが言えない。けれど寄る辺がないことで起こる何かみたいなのはほぼ確実といっていいほどあって、それはちゃんと寄る辺がなくならないと起こらないような気がしている。
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