2015年12月30日水曜日

毎回同じ場所にやってくる

何度か書いたブログの下書きを消しては書き、消しては書きしている。このあと昼過ぎに大学の友人と会う予定で、それまでになにか書き留めておきたいという気分になっているのだと思う。今いる公園はとても気持ちがいいとか、最近家とはなにかを考えているとか、この間終わった吉本隆明を読むゼミのこととか、浮かびはするけれど文章にならない。文章になってもこういうことが書きたかったのだろうかと思ってやはり消してしまう。

ほうっておくとすぐに何者かになろうとしてしまう。隣の人と自分とを見比べて、ああなんて自分はできないんだとか、こうなるにはどうしたらいいんだろうとか、そういうことを考え始める。昔自分ができたことを思い返して、きっとあれが出来たのはああいう条件があったからだとか、じゃあ今度またできるようにするためにはこうしたらいいんだろうとか、そういうことをすぐに考え始める。

吉本隆明『言語にとって美とはなにか』を読むゼミがこの間終わった。これを読んでいる期間はぼくはさっき書いたようなことの渦中にいた。渦中にいたということがわかって今それについて書いている。

ああまただ、と思う。その都度目の前に起こることに対して自分がどういう反応をしているかということでしか何かができない。本当ならもっとこうなのに、とかこうなればもっといいとか、そういうことに翻弄される動きの中にはなにもない。すぐにそのことを忘れて、その中に入っていこうとする。こういうことが自覚できたときはとても視界がクリアになる感覚と裏返しの孤独を感じる。

けれどこの孤独は妙なあかるさを伴う孤独だ。この感じがあって初めて、他人と一緒に居るとか何かをするということができるようになる気がする。またここか、というこの感じを得るときは毎回同じ場所にいるのだけれどその都度初めて来たような新鮮さと、そしてもう二度と来ないのではないかと思うような確かさがある。

うんざりしながら、気持ちがいい。

0 件のコメント:

コメントを投稿