2015年10月18日日曜日

以前ふつうにやっていたこと

『はてしない物語』に登場するバスチアンは、本の中の世界「ファンタージエン」で自分の望みが叶えられるたびに、記憶を失っていく。最終的に彼は自分の名前を忘れる。

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「以前はふつうにやっていたこと」というのがある。これは、「今はふつうにできなくなっている」ということを自覚しているからできる表現で、これが自覚化されていない状態では「ふつうにやっていたこと」を対象として取り出すことができない。

不意に何かのきっかけで「今はふつうにできなくなっている」ということを自覚した瞬間に、その瞬間の直前までの状態が「今はふつうにできなくなっている」ということを自覚していない状態として区切られる。

ここでぼくが「以前はふつうにやっていたこと」という言葉で指しているものは、特定の名称を使うことによって指し示したり、簡潔な言葉で解説するということが難しい。

借りているアパートの一室から同じアパートの別室に引っ越すのが妙に楽しかったり、人に会ったら10年ほど借りたままになっていたCDを返されて懐かしい気持ちになったり、そういうなんの脈絡もない出来事と自分の反応の積み重なりが今日はただ目の前にある。

計画を立てる、見通しを持つ、目標を設定する、根拠を示す、意義を説明する、そういうったものを持ち出すと本来は脈絡もなくただそこにある物事が整然と並べられていく感じがあって、そういう働きと「以前はふつうにやっていたこと」とが関わりがある気がして、その関わりについて書きたいけれどトイレに行きたくなってきたのでここで書くことをやめる。

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