1日の出来事が、わーっと頭に浮かんできて、負荷がかかる。
負荷をなんとか減らそうと思ってイヤホンを取り出して、騒がしい曲をかけてみる。何年か前からやっていたやり方で、今回もそうする。けれど耳に音楽が響いているだけで状況は変わらず、わーっと頭に浮かんでくる。ということに気がついて音楽に意識が戻って曲が流れていることに気がつく。
銭湯の湯船に浸かって目を閉じて口を空けていると、やっぱりわーっと頭に浮かんでくる。もうどうしようもなく、そのまま口を空けている。じりじり、じりじり、とハードディスクの読み込み音がひとりでにしているような、あるいはわーっと浮かんでくる1日の映像に追いつこうとするように、じりじり、じりじり、と頭に音を鳴らす。
浮かんでくるのは一瞬から数秒の映像で、その当時、つまり今日ぼくが見た人の顔の角度やその表情、部屋の広さが再現されたかと思うと別の映像に切り替わる。大抵そこに音声はなく、そのときの心持ちというか感覚のようなものが思い起こされるかどうかという瞬間に、その場面で自分が言われた言葉を思い起こそうとする。と同時に無理に思い起こさなくてもいいという気がして、言葉の断片に触り、だいたいこういう言葉だったという輪郭が浮かんでまた別の場面に切り替わる。
そういうことを繰り返しているとだんだん湯船に浸かるのに疲れてきてお風呂からあがる。
音楽をかけて負荷を減らそうとしても逆効果で、別のもので押さえつけようとした分圧力を伴って映像が噴き出してきているのではないか、という考えが浮かぶ。
ということを書くことで、何かを保とうとしている。
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