2015年10月4日日曜日

ベーシック・ライン生活。東山の和室で一ヶ月生活する。



どうしてこれをやろうと思ったのか、説明しようとするけれど上手くできない。

ともかく、いつもの荷物のほかに3日分の服を紙袋に詰めて、昨日東山の和室に到着して一夜明けて、今みやこめっせでブログを書いている。みやこめっせは今日、街でよく見かける紅茶メーカーのイベントがやっていて、おしゃれな女の人がたくさん行き来していて落ち着かない。ロビーを出て地下のガラス窓そばの椅子に移動して、また書き始める。

ここのところあまりブログを書いていなくて、どう書いていたかを思い出すようにとりあえず思いついたことを打ち進めている。目の前をお母さんに抱かれた赤ん坊が通り過ぎて目が合う。館内にはなぜか和風にアレンジされたボレロや聞いたことのある何かの曲が流れている。

最近、食べるもの、着るもの、住む場所、使う道具、そういうものには「これでいい」と「これこそがいい」をつなぐラインがあるのではないかと、そういうことを考えている。「もっといいものがあるのではないか」と、他との比較から妥協に位置せざるを得ないような「これでいい」でもなく、それについてよく知っていたりたくさん投資したり所有することで自らの立ち位置を保つような、そういう「これこそがいい」でもなく、ただ「いい」としみじみ思えること。

それは例えば土鍋で米を炊くようなもので、土鍋で米を炊くと15分そこらで炊き上がるうえに、なにより美味い。仲間の間では湯豆腐も鍋ものもできるという話が出ていて嬉しい。炊飯器だと「早炊き」でも30分はかかるし、新しく買うと高い。今和室には炊飯器はないけれど、土鍋がある。「炊飯器くらい買えばいいのに」という人もいるけれど、そういう話ではなく、また「炊飯に最適な上質な土鍋」を追求するつもりもなく、ただ土鍋でいいし、土鍋こそがいい。

「これでいい」と「これこそがいい」の2つが同時に起こるようなこと、このラインを勝手に「ベーシック・ライン」と呼ぶことにする。ゼミで吉本隆明を読んでいるせいもあって言葉を正確に使いたいと思って意味が的確かを調べてみたけれどよく分からない。この間友人の澪さんと話していて出たことばで、なんだか響きが気に入っているので、もう使ってしまうことにする。

この「ベーシック・ライン」を探求しながら、ひとまず一ヶ月、ここで生活します。生活というのはつまり、ここで寝てごはんを食べ、平日はここから仕事に行ってここに帰ってくるということをやってみます。

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