日も場所も違うけど、こんな感じのシチュエーション。 僕のほうが少し前を歩いていたと思う。 |
その前日、大谷さんが道で息絶えていた小鳥を拾って土のあるところに移動させたのを見ていて、ぼくもやってみようと思ったけれど、結局できなかった。
という話をしたら、そのことを大谷さんがブログに書いていた。
(まるネコ堂ブログ「【113】死体に触れたいと思うわけ。」)
「ぱーちゃんはなぜ自分も死体に触れようとしたのか」と書かれているのを読んで、「そういえば何でだろうな」と考えていたら書きたくなった。
あの日、つまり大谷さんが小鳥を拾った日、どう思っただろう。
ぼくの視界正面に入った路上の小鳥は、状況からして死んでいるだろうとわかった。少し気分と視線が沈む感じがあった。ぼくは視線を進行方向に戻しながら、後ろめたく思う気持ちで、もう一度小鳥のほうに視線を送った。
その時、ぼくの視界の左手隅で大谷さんが無言で立ち止まる。素手で小鳥を手に取り、すぐ左脇の神社の敷地に移動させる。
ためらうでもなく、「かわいそうに」と言うでもなく、ことさら悲しむでもなく、ぼくには大谷さんが「当然のように」一連の所作をおこなっているように見えたのが印象的だった。
通り過ぎるという行為を、「当然のように」、ほぼ自動的に選択している自分も同時に浮き彫りになった感じがあった。
眠くなってきたので、つづきをまた書きます。
つづきが読みたい・・・
返信削除書きました。
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