大阪の四天王寺から西に歩いた時の写真。 『大阪アースダイバー』の舞台を歩いた。 どことなく、死の香りのする散歩だった。 本文とは無関係。 |
以前の記事「死体に触れなかった。」のつづき。
ある雨の日、駅に向かう途中。
僕の十メートルほど前を歩いていた女性が、
何かを避けるように右に逸れた。
正面に黒っぽい塊が見える。
近づくにつれ、イタチらしき動物の死体であるとわかる。
徐々に死体との距離が縮まる中、
僕は昨日、大谷さんが小鳥の死体を素手で取り上げていたのを思い出す。
死体の前で立ち止まる。
このまま置いておいたら、誰かが処理するのだろうか。
いや、誰かが処理しないと放置されたままではないか。
こういう時、役所の人が呼ばれるのだろうか。
右手には、雑草の生えた土の小道がかろうじてある。
自分で動かしてみようか。
これらが一瞬で頭の中を駆け巡り、
次の瞬間には、死体を横目に駅に向かって足を進めていた。
どうしてやってみようと思ったのか、
どうしてやめたのか、
そのあたりを書こうとしたけれど難しい。
義務感や、後ろめたさや、
いざ「触る」となったときの躊躇や、色々なものが混じっている気がする。
大谷さんのように「触れたい」という感覚ではないようにも思う。
もう何年も前に叔父が亡くなった時のことを思い出した。
生前ほとんど関わりがないまま、亡くなってしまった叔父。
葬儀の前夜、叔父の遺体と同じ部屋に親族が集まり、
特に何を話すでもなく過ごした時間が、とても豊かだった気がした。
人が亡くなっているのになにを、と言われそうだけど
「豊か」というほかない感覚だった。
「ああ、人は死ぬのか」と思った。
自分の力が到底及ばない、
どうがんばっても覆しようがない、
確固たるものに触れている感じがした。
遺体に触れたかどうかは覚えていない。
けれどなぜだろう、思い出した。
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