2015年4月8日水曜日

死体に触れなかった。(続き)

大阪の四天王寺から西に歩いた時の写真。
『大阪アースダイバー』の舞台を歩いた。
どことなく、死の香りのする散歩だった。
本文とは無関係。

以前の記事「死体に触れなかった。」のつづき。

ある雨の日、駅に向かう途中。

僕の十メートルほど前を歩いていた女性が、
何かを避けるように右に逸れた。
正面に黒っぽい塊が見える。

近づくにつれ、イタチらしき動物の死体であるとわかる。

徐々に死体との距離が縮まる中、
僕は昨日、大谷さんが小鳥の死体を素手で取り上げていたのを思い出す。

死体の前で立ち止まる。

このまま置いておいたら、誰かが処理するのだろうか。
いや、誰かが処理しないと放置されたままではないか。
こういう時、役所の人が呼ばれるのだろうか。

右手には、雑草の生えた土の小道がかろうじてある。
自分で動かしてみようか。

これらが一瞬で頭の中を駆け巡り、
次の瞬間には、死体を横目に駅に向かって足を進めていた。

どうしてやってみようと思ったのか、
どうしてやめたのか、
そのあたりを書こうとしたけれど難しい。

義務感や、後ろめたさや、
いざ「触る」となったときの躊躇や、色々なものが混じっている気がする。
大谷さんのように「触れたい」という感覚ではないようにも思う。

もう何年も前に叔父が亡くなった時のことを思い出した。
生前ほとんど関わりがないまま、亡くなってしまった叔父。

葬儀の前夜、叔父の遺体と同じ部屋に親族が集まり、
特に何を話すでもなく過ごした時間が、とても豊かだった気がした。
人が亡くなっているのになにを、と言われそうだけど
「豊か」というほかない感覚だった。

「ああ、人は死ぬのか」と思った。

自分の力が到底及ばない、
どうがんばっても覆しようがない、
確固たるものに触れている感じがした。

遺体に触れたかどうかは覚えていない。
けれどなぜだろう、思い出した。

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