地下鉄烏丸線、四条駅で降りて地上に上がりバスに乗って東山仁王門へ行く。烏丸御池で東西線に乗り換えた方が早く着くけれど、市バス定期があるので多少遠回りでもバスに乗るとお金がかからない。職場を出て1時間くらいで到着した。
住人の共同玄関にある靴箱を開けると、靴はなく大谷さんは不在だとわかる。
階段を上がって部屋の窓から中を覗くと、普段は何もない畳に荷物が転がっている。鍵を開けて部屋に入ると蚊取り線香の匂いがして煙がたちこめている。ナイフで切り取った跡がある食べかけのスイカがお盆の上にある。コップや湯飲みが5個ほどあちこちに置いてある。大きめの皿には何かの汁が残っていて箸がある。壁沿いに固まっている寝袋、ポカリスエットのボトル、白霧島の瓶はほぼ空いていてスミノフの瓶にはまだ3分の2ほど中身が残っている。本が3冊ほど積んでありタイトルを見ると大谷さんがブログで言及していた本だとわかり、やはりここには大谷さんが居たのだとわかる。しかし本の下にあるパソコンらしきものに見覚えがなく、これは誰の持ち物だろうかと思う。
コンセントにはMacのACアダプタが刺さったままになっていてMacは見当たらない。すぐそばに見覚えのないイヤホンとクリップ式の小型扇風機が転がっている。ぼくは大谷さんの持ち物をもちろんすべて知っているわけではなく、けれど部屋に残されたものに見覚えがあると安心し、見覚えがないと不安な気分になる。この部屋には一体だれがいたのだろう。ほんとうは湯飲みの数、5人ほどさっきまで人がいて宴会でもしていたのではないか。
扇風機のそばにはやはり大谷さんの持ち物だとわかるクリップ式財布と、小銭が種類ごとに並べられている。見覚えのあるcarapaceのリュックが台所のそばに置いてある。おそらく洗って干した後と思われる甚兵衛が転がっている。
ここまできてぼくは何かの事件に居合わせた登場人物のような気分になる。この持ち物から読み取れることは何だろうか。一応行く前に大谷さんに電話しておこう、と思って電話してから1時間が経つけれど返事がなく、クリップ財布も置いてある。電車に乗ってどこかに行ったわけではなさそうだ。本を1冊だけ持って図書館にいるのかもしれない。いや、電話がないところを見ると銭湯にでも行っているのかもしれない。手ぬぐいだけ持って汗を流しに行っているのかもしれない。
と考えて、ぼくはどのタイミングで外に出ようかと考える。このまま待っていて大谷さんが帰ってくる様子を想像すると、自分が座敷童か何かのような気分になって少し楽しい。ここに来たのは大谷さんがここにいると知っているからだけれど、会うことが目的かというとそうでもない。会えないなら会えないで、そのまま帰ってもいい。お腹が空いてきたので、ごはんも食べたい。
このあたりで急に体温が上がってくるのを感じて、逃げるように部屋を出た。白い麻の無地のシャツの裾をズボンから出し、靴下を脱いで古着屋JAMで買った茶色のスラックスの裾を3回捲り上げる。ビルケンのロンドンを裸足で履いて外に出ると風が通って気持ちがいい。ぼくは仕事終わりにここに来たけれど、気分は旅行者だ。
風を浴びてほっとするとお腹が空いてきたのでイオンに向かって食べ物を調達することにする。この暑さで部屋に戻って食べる気にはなれないので、二条大橋のそばの河原で食べることを決めて店に入る。割引で300円の助六寿司と88円のトップバリュ発泡酒を買って河原に向かう。
横断歩道でクールビズ姿のサラリーマンと並ぶ。ふらっと来ることを決めて、今こうして旅行者のように歩いていられることが嬉しくなる。河原に座ると辺りは暗くなってきていて、正面にはリッツカールトンの客室が見える。いくつかの部屋はカーテンが開いていて灯りを背に宿泊客の影が見える。カーテンが自動で開閉しているのがわかる。
外国人バックパッカー2人組や、犬の散歩をするおじさんや、仕事帰りの人が横切っていく。ぼくは発泡酒を飲みながらいなり寿司をつつく。今日ちょうど職場の人と「海外に行くならどこか」みたいな話をしていてぼくは特別海外に行かなくてもいいやという気分になっていたことを思い出す。今も十分、なんというか異空間にいる。日常と非日常の境界、仕事とプライベートの境界、そういう境界が曖昧になる危うい空間にいる気がしていて、この感覚を味わえる条件は家から、職場から1時間の場所に出来てしまっている。もっと境界を曖昧にするようなことをしてやろうという、悪戯したくなるような気分になる。
そういうことをブログに書きたくなってきて歩き始める。部屋に戻ってもし大谷さんがいれば話せばいいし、いなくても今日はノートPCを持ってきているので部屋で書いてネットに繋がる場所で更新すればいい。部屋にあったスミノフを飲みながら書きたい気分だったのでつまみを買おうとイオンに寄ろうとするけれど助六寿司のゴミを持ったままだったので店内に入る気分にならずそのまま部屋に戻る。
部屋に戻ると考える間も無く荷物をまとめたくなるほど暑くてほんとうに荷物をすぐにまとめて部屋を出た。ここまでくるともう、道端やみやこめっせ、図書館周辺で大谷さんにばったり出くわすようなことがなければ帰るつもりになっていた。案の定そういうことはなく、バスの時刻を見て美術館前で飛び乗って帰る。