281時間のフリーキャンプが終わった。
正確にいうと「281時間の本当にフリーなフリーキャンプinまるネコ堂」と題した企画の終了時刻を過ぎた。
開始時刻を迎える数時間前からぼくを含めた最初の参加者4人はまるネコ堂にいて、開始時刻とそれより前の時間の境目は曖昧だ。それらを分かつのは「始まったらドーナツでお祝いしよう」と食べたドーナツとコーヒー、それから最初におこなったミーティングくらいのもので、すでに開始時刻前から何かが始まっていた。
終了時刻にもドーナツを揚げてコーヒーを淹れて、参加者で友人のうみちゃんが急遽手作りしたゴールテープを切るということがおこなわれた。わかりやすい儀式を経て何かが終わったような気がするけれど今も何かが続いている。
うみちゃんが先日開かれたとある場に対して「行くと決めた時から私は居た」というニュアンスのことを言っていたのを思い出す。うみちゃんはこのフリーキャンプにも来ると言っていて、けれどいつ来るかは当初知らされていなくて、ぼくたちはいつうみちゃんが来るんだろうかとそわそわしながら過ごした。うみちゃんはずっと居たし、今もこうして書いているのでやはり今も居る。
今日は残業せずに職場を出てきた。いつもこの時間に帰る同僚の人に「この時間に帰ったら何したらいいかわかんなくなっちゃうんです。早く帰ったらどうしてますか」と聞かれた。ぼくは一瞬戸惑って「こないだはマクドナルドでぼーっとしてました」と答えたけれどそのことを今またマクドナルドで思い出している。
この「 281時間の本当にフリーなフリーキャンプinまるネコ堂」を思いついたときに冗談半分で「フリーキャンプのように生きる」と言って笑っていたけれど本当にそうだという気がしていて、まるネコ堂の庭先のチェストに腰掛けて生い茂っている草、それはあとで解説を聞くと大葉やニラやミントやルッコラや雑草だったりするのだけれどその時見えているのは緑色の庭で、個々の植物の種類に焦点は当たっておらず、ただぼーっと庭を眺めているときに「生きるとか暮らすって何だ」という感じがうっすらと浮かんで漂った。それは答えを出す方向には働かず、そういう問い自体が吐き出したタバコの重い煙のように頭の周りにただ漂って霞む。
フリーキャンプの期間中には驚くようなことがいくつも起こっていて、それは「フリーキャンプの凄さ」みたいな文脈で説明したくなるけれど本当にそうだろうか。日常と区切った何かであったから何かが起こったのだろうか。
少なくともあるのはこの期間中にぼくは何人かの人と会って話をしていて、いろいろな出来事が起こっていろいろな気持ちになって、とても疲れたり元気になったり一人になりたくなったり人と話したくなったりした。ただ、これらのことが起こった。
これをするとお金が得られるとか充実感や安心感を得られるとか学びがあるとか、居場所ができるとかより上手く何かができるようになるとか、そういう類のものを持ち出してきた場合はこの「ただ起こったこと」がそのままのものとして見えない。 これらのことは、ただ生きるとか暮らすということとは位相の違うところにあって、その性質を見極めて上手く使えばいい類のものだ。
ごはんを食べて美味しい美味しいと声が出て、会いたい人と会って、思い立ったときにやりたいことをやり、人と一緒に居すぎて疲れて一人になりたくなり、移動したくなったら移動して、庭で夕暮れを見てああーと声が出る。これが暮らすとか生きるということだと言ってしまうのが陳腐に聞こえるのは、「早く仕事が終わったら何をするか」とか「生きるとか暮らすとは何か」という問いが成立しているからだ。そういう問いが煙のように霞んで漂ったときに、フリーキャンプのように生きるということが起こる。というよりも、そういうことがただ起こっていたところに後から「問い」がやってきたのだ。
フリーキャンプが終わってから25時間57分。
2015年8月20日木曜日
2015年8月18日火曜日
281時間のフリーキャンプ 4:河原にて
鴨川の四条大橋南、東側の河原でブログを書いている。
朝、マクドナルドで朝食を食べる。2階席に上がり、wifiを拾って朝に書いたブログを更新しようとしたけれどアップしようとしていた写真を撮ったiPhoneの接続が悪いので断念してみやこめっせに向かう。到着するとみやこめっせは閉まっていて、昨日だけでなく今日も終日閉館だということを知って途方に暮れる暇もなく暑さに耐えかねて図書館へ向かう。図書館はクーラーが効いていて涼しく、とりあえず冷水機でペットボトルに水を汲む。今日は本を読みたいと思っていたんだ、と思いながら地下階にらせん階段を降りる。閲覧スペースの座席は7割が埋まっていて、座ろうと思っていたガラス窓際の席に空きがない。座席を探してうろうろしている間も、ブログを更新できていない中途半端な感じが残っているのが気にかかっている。適当な席を見つけて座って本を読み始めるけれど手につかず、やめる。
ここまで書いていて視線を上げると川の向こう側には川床の灯りが見えていて水面を照らしている。川上から歩いてきた若い女性二人が「めっちゃいいじゃんここ」「彼氏と来たいわあ」と関東弁のイントネーションで話している。風上のほうからはたまに獣のような匂いが運ばれてきていて、今はもう消えている。
今日は午前中に自宅に戻って弟と蕎麦を食べてだらだらと話して、少し昼寝をして一度家を出た。「1人になって本を読みたい」と思って駅に向かったけれどどこかしっくり来ず、コンビニで買ったアイスを駅前で食べたら眠くなってきて結局自宅に戻ってもう一度昼寝をした。目覚めると驚くほど頭がすっきりしていて、寝たかったんだとここではじめて気がつく。
頭がすっきりしたら外にも出てみようという気になって、昼寝前に大谷さんからもらった電話で今日は野菜をたくさんもらって夜はごちそうだと聞いたのでまるネコ堂には行こうと思っていたのだけれど一度河原に寄りたい気分だったので阪急電車に乗って今ここにいる。橋の上には外国の言葉が飛び交っていて、結局フリーキャンプ中に行かなかったけれど海外に行くかもと話していたことを思い出す。もうこの辺りはどこに何があって何時ごろにどう活用すればいいかをよく知っている海外ではないか。そのようなことを思いながら川に降りる階段を下って腰を下ろして、目の前には川が流れている。
「本を読みたい」と昨日ぼくは話したけれど実態は別のところにあるような気がする。1人になりたいという欲求は昨日の夜にある程度満たされていて、今日は昼寝がぐっすりできたので割合満足していて、あとは今日ごちそうだと聞いているまるネコ堂での夕食が今から行って分け前が残っているのかどうかが頭にちらついていて、さっき近くに腰掛けた女性はもうどこかへ行ってしまった。
その都度したいことをするのがフリーキャンプだということは簡単に言えてしまうのだけれど、そう言った瞬間に「その都度したいことをする」というルールに自分が囚われて「したいことがわからない」と言って困った気分になったりする。けれど実際には「したいことがわからない」というだけであって、問題かというと問題ではない。
ここからさらに何かを書こうとするのだけれど書けず、おそらくそれはフリーキャンプ中にもう一度1人になって書きものをする時間はもう最後なのではないかという気分からやってきているということを突き止めたので、もう十分だという気がする。書くモードになれるような時間を自分でつくって、書いても書かなくてもいいし書くことも忘れるくらい何かが起こるかもしれず、それは今どうこういうことはできず、今はそういう状態であるということだけがわかる。
祇園南座のバス停の道路に面した柵に腰掛けて、京都市の公共wifiを拾ってブログを更新する。やっぱりここは海外だ。
朝、マクドナルドで朝食を食べる。2階席に上がり、wifiを拾って朝に書いたブログを更新しようとしたけれどアップしようとしていた写真を撮ったiPhoneの接続が悪いので断念してみやこめっせに向かう。到着するとみやこめっせは閉まっていて、昨日だけでなく今日も終日閉館だということを知って途方に暮れる暇もなく暑さに耐えかねて図書館へ向かう。図書館はクーラーが効いていて涼しく、とりあえず冷水機でペットボトルに水を汲む。今日は本を読みたいと思っていたんだ、と思いながら地下階にらせん階段を降りる。閲覧スペースの座席は7割が埋まっていて、座ろうと思っていたガラス窓際の席に空きがない。座席を探してうろうろしている間も、ブログを更新できていない中途半端な感じが残っているのが気にかかっている。適当な席を見つけて座って本を読み始めるけれど手につかず、やめる。
ここまで書いていて視線を上げると川の向こう側には川床の灯りが見えていて水面を照らしている。川上から歩いてきた若い女性二人が「めっちゃいいじゃんここ」「彼氏と来たいわあ」と関東弁のイントネーションで話している。風上のほうからはたまに獣のような匂いが運ばれてきていて、今はもう消えている。
今日は午前中に自宅に戻って弟と蕎麦を食べてだらだらと話して、少し昼寝をして一度家を出た。「1人になって本を読みたい」と思って駅に向かったけれどどこかしっくり来ず、コンビニで買ったアイスを駅前で食べたら眠くなってきて結局自宅に戻ってもう一度昼寝をした。目覚めると驚くほど頭がすっきりしていて、寝たかったんだとここではじめて気がつく。
頭がすっきりしたら外にも出てみようという気になって、昼寝前に大谷さんからもらった電話で今日は野菜をたくさんもらって夜はごちそうだと聞いたのでまるネコ堂には行こうと思っていたのだけれど一度河原に寄りたい気分だったので阪急電車に乗って今ここにいる。橋の上には外国の言葉が飛び交っていて、結局フリーキャンプ中に行かなかったけれど海外に行くかもと話していたことを思い出す。もうこの辺りはどこに何があって何時ごろにどう活用すればいいかをよく知っている海外ではないか。そのようなことを思いながら川に降りる階段を下って腰を下ろして、目の前には川が流れている。
「本を読みたい」と昨日ぼくは話したけれど実態は別のところにあるような気がする。1人になりたいという欲求は昨日の夜にある程度満たされていて、今日は昼寝がぐっすりできたので割合満足していて、あとは今日ごちそうだと聞いているまるネコ堂での夕食が今から行って分け前が残っているのかどうかが頭にちらついていて、さっき近くに腰掛けた女性はもうどこかへ行ってしまった。
その都度したいことをするのがフリーキャンプだということは簡単に言えてしまうのだけれど、そう言った瞬間に「その都度したいことをする」というルールに自分が囚われて「したいことがわからない」と言って困った気分になったりする。けれど実際には「したいことがわからない」というだけであって、問題かというと問題ではない。
ここからさらに何かを書こうとするのだけれど書けず、おそらくそれはフリーキャンプ中にもう一度1人になって書きものをする時間はもう最後なのではないかという気分からやってきているということを突き止めたので、もう十分だという気がする。書くモードになれるような時間を自分でつくって、書いても書かなくてもいいし書くことも忘れるくらい何かが起こるかもしれず、それは今どうこういうことはできず、今はそういう状態であるということだけがわかる。
祇園南座のバス停の道路に面した柵に腰掛けて、京都市の公共wifiを拾ってブログを更新する。やっぱりここは海外だ。
あと21時間29分でフリーキャンプが終わる。
281時間のフリーキャンプ 3:他人の影
フリーキャンプ開始から248時間32分。
終電に近い京阪電車に乗ってまるネコ堂を出て東山の和室にやって来た。一晩明けて目が覚めてブログを書いている。
「そうか1人になりたいのか」と気がついてからは行動が早くて、1人まるネコ堂で留守番していたぼくは荷物を片付け始めた。リュックに必要なものをまとめ、ペットボトルに水を汲み、携帯と小銭をポケットに突っ込んだ。このまま書き置きだけしてここを出たら、あと数十分で戻って来るであろう大谷さん・澪さんはびっくりするだろうなと想像しながらいたずらな気持ちになるけれど、そうはせず、とりあえず庭に出て雨がまばらになった空を眺めると西の空の雲の切れ目から太陽の光が差し込んでいるのをしばらく見ている。ほどなくして大谷さん・澪さんが帰ってきてコロッケとチューハイと発泡酒にやられてそのまま飲んで、キーマカレーを作ってしばらくごろごろしていたのだけれど、やはり出発する。
三条京阪の駅についてしばらく街をうろうろして、和室に向かう。ラーメンが食べたくなって、なぜかチキンラーメンだと思う。目の前には屋台風の店構えで店員が店先で休憩している長浜ラーメンが見えるけれど、きっと部屋に戻って湯を沸かして袋ラーメンを食べても満足するのだろうと思い、やっぱりチキンラーメンだと思う。川端通りに面した24時間営業のフレスコに行く。店内はがらんとしていてレジには店員も通路に客もおらず、店員は棚で商品陳列をしている。ラーメン売り場に行くと足元に袋ラーメン5パックが並べてありチキンラーメンもやはりある。これの1食分、と棚を見上げると幾つかの種類が並んでいて、80円だ。80円でチキンラーメンが食えると期待して棚を探すけれどあのパッケージは見当たらずああ置いてないのかと一瞬がっかりするがチキンラーメンの値札だけを見つける。棚は空で売り切れているようだ。5食パックを見つけたとき、1食パックの値札を見つけたときの2回ぼくは期待して2回裏切られ、けれどやはりラーメンは食べたくてマルちゃん製麺のパックを手にとってレジに行く。
アパートの前について2階を見上げるといくつかの部屋の灯りがついていて住人が起きているのだとわかる。けれど2階に上がっても物音がしないので寝ているのかもしれない。部屋でフライパンに湯を沸かしながら荷物をおろす。木製の器にヒビが入っているのでフライパンから直接食べることしかできない。火を止めてフライパンに粉末スープを入れる。レンゲがないのでマグカップですくってスープを飲むことにする。ラーメンをすする音が部屋に響くのが気にかかる。自分の生活音というのが人に聞こえてはいないだろうか、なに夜中にラーメン食べてるんですか、静かにしてくださいと住人に言われないだろうかという考えがよぎって、ぼくは今気にしているのだということがわかる。選んだラーメンは豚骨ラーメンで、ちょっとしつこい。ぼくはこういう自分でラーメンの種類を選べる時は豚骨ラーメンを選びがちで、それは多分実家でラーメンを食べる時は大概塩ラーメンで高校生くらいの時期から豚骨ラーメンへの憧れみたいなものがあったからだ。友人がラーメンはやっぱり豚骨だよなという話をしているのを聞いて、うちはなぜ塩なんだろうかと考えたことがあって特にそれがどうということもないのだけれど、もともとチキンラーメンを食べたくてなぜか今豚骨を啜っているぼくはその延長線上に居る。
ラーメンの後始末を終えると、この何もない和室で安心して眠るためにはどうしたらいいかを考えるともなく準備し始める。パソコンからうすく音楽をかけておく。部屋の隅にポケットに入っていたものや文庫本をリュックの横に並べて置く。寝袋を2つ出してきて1枚は敷き布団代わりに、もう1枚は枕にする。この6畳の和室は西側に窓があり、東側に2畳分の台所スペースを挟んで廊下に面した小窓と玄関がある。暑ければ廊下側の窓を開けようかとも思ったけれど涼しいのでその必要もなく、閉める。西側の窓に足を向け、台所側、つまり廊下側に頭を向けて横になる。
電気を消すけれど、どうも落ち着かない。部屋が真っ暗になると廊下の灯りが目に入ってきて嫌でも部屋の外の空間があるということを意識させられる。そしてこの体勢だと誰かが入ってきてもすぐに見ることができない。寝転んだまま顔を横に向けても目に入るのは白い壁だ。「誰かが入って」くる場合の誰かというのはつまり共同でこの部屋を借りている友人やアパートの他の住人や強盗とか霊的なものまで想像するのだけれど、どれもそうそう起こるとは思えず、一番可能性が高い友人でさえもこの時間帯に突然来るとは考えにくい。来たとしても何か問題があるわけではない。けれど実際に起こるかどうかはともかくとしても気になっているということは事実なので、極力気にしなくていい方法を考える。まずは頭の向きを変えて南側にする。こうすると左手に西側の窓を、右手に台所側の廊下に面した小窓を視界に入れることができる。きっとやって来るとも思えない訪問者が来てもなんとなく安心できるような気がして、ずいぶん落ち着く。次に部屋に広げていた荷物をまとめる。出しておく必要のない文庫本や服などはカバンにしまう。酒を少し飲んだコップも洗い、ペットボトルに水を汲んでおく。これでこの場所への固着感が少し減り、必要とあればさっと抜け出すことができる。何もないとは思うのだけれど。最後にリュック、携帯、小銭、財布、パソコンを等間隔に身体の両脇に並べておく。馬鹿げているような気がしながらおまじないだと思って、結界を張る。豆電球を点けると、廊下の灯りがやや薄まってこちらの6畳の存在感が増す。横になって右を向くと、流し台の上にある小窓越しにやはり廊下の灯りが目に入る。台所スペースとこちらを区切る戸の位置を調節して、風を通しつつも光が気にならない場所を探す。左を向くと網戸越しの暗闇に木陰が見えていてこれもちょうど目に入らない位置に身体を動かす。
学生時代に一人暮らしをしていた頃、マンションの部屋に入って鍵をかけてもまだなんとなく安心しきれず、キッチンと部屋を仕切るドアを閉めてようやく落ち着いたことを思い出している。少なくとも目の届く範囲に、他人の影がないという状態。誰かが入ってくるかもしれない、誰かいるということを感じざるを得ない、そういうセンサーをぜんぶ切ることのできる環境が必要で、そのギリギリのラインを探っているような感じがある。
暑さで寝苦しいこともなく、蚊の羽音を聞くこともなく、ほかの住人の影を感じることもなく、起きたら7時半だ。文章を書き始めて1時間が経っていて、書いていたらお腹が空くかと思ったけれどよくわからない。あと31時間27分でフリーキャンプが終わる。
終電に近い京阪電車に乗ってまるネコ堂を出て東山の和室にやって来た。一晩明けて目が覚めてブログを書いている。
「そうか1人になりたいのか」と気がついてからは行動が早くて、1人まるネコ堂で留守番していたぼくは荷物を片付け始めた。リュックに必要なものをまとめ、ペットボトルに水を汲み、携帯と小銭をポケットに突っ込んだ。このまま書き置きだけしてここを出たら、あと数十分で戻って来るであろう大谷さん・澪さんはびっくりするだろうなと想像しながらいたずらな気持ちになるけれど、そうはせず、とりあえず庭に出て雨がまばらになった空を眺めると西の空の雲の切れ目から太陽の光が差し込んでいるのをしばらく見ている。ほどなくして大谷さん・澪さんが帰ってきてコロッケとチューハイと発泡酒にやられてそのまま飲んで、キーマカレーを作ってしばらくごろごろしていたのだけれど、やはり出発する。
三条京阪の駅についてしばらく街をうろうろして、和室に向かう。ラーメンが食べたくなって、なぜかチキンラーメンだと思う。目の前には屋台風の店構えで店員が店先で休憩している長浜ラーメンが見えるけれど、きっと部屋に戻って湯を沸かして袋ラーメンを食べても満足するのだろうと思い、やっぱりチキンラーメンだと思う。川端通りに面した24時間営業のフレスコに行く。店内はがらんとしていてレジには店員も通路に客もおらず、店員は棚で商品陳列をしている。ラーメン売り場に行くと足元に袋ラーメン5パックが並べてありチキンラーメンもやはりある。これの1食分、と棚を見上げると幾つかの種類が並んでいて、80円だ。80円でチキンラーメンが食えると期待して棚を探すけれどあのパッケージは見当たらずああ置いてないのかと一瞬がっかりするがチキンラーメンの値札だけを見つける。棚は空で売り切れているようだ。5食パックを見つけたとき、1食パックの値札を見つけたときの2回ぼくは期待して2回裏切られ、けれどやはりラーメンは食べたくてマルちゃん製麺のパックを手にとってレジに行く。
アパートの前について2階を見上げるといくつかの部屋の灯りがついていて住人が起きているのだとわかる。けれど2階に上がっても物音がしないので寝ているのかもしれない。部屋でフライパンに湯を沸かしながら荷物をおろす。木製の器にヒビが入っているのでフライパンから直接食べることしかできない。火を止めてフライパンに粉末スープを入れる。レンゲがないのでマグカップですくってスープを飲むことにする。ラーメンをすする音が部屋に響くのが気にかかる。自分の生活音というのが人に聞こえてはいないだろうか、なに夜中にラーメン食べてるんですか、静かにしてくださいと住人に言われないだろうかという考えがよぎって、ぼくは今気にしているのだということがわかる。選んだラーメンは豚骨ラーメンで、ちょっとしつこい。ぼくはこういう自分でラーメンの種類を選べる時は豚骨ラーメンを選びがちで、それは多分実家でラーメンを食べる時は大概塩ラーメンで高校生くらいの時期から豚骨ラーメンへの憧れみたいなものがあったからだ。友人がラーメンはやっぱり豚骨だよなという話をしているのを聞いて、うちはなぜ塩なんだろうかと考えたことがあって特にそれがどうということもないのだけれど、もともとチキンラーメンを食べたくてなぜか今豚骨を啜っているぼくはその延長線上に居る。
ラーメンの後始末を終えると、この何もない和室で安心して眠るためにはどうしたらいいかを考えるともなく準備し始める。パソコンからうすく音楽をかけておく。部屋の隅にポケットに入っていたものや文庫本をリュックの横に並べて置く。寝袋を2つ出してきて1枚は敷き布団代わりに、もう1枚は枕にする。この6畳の和室は西側に窓があり、東側に2畳分の台所スペースを挟んで廊下に面した小窓と玄関がある。暑ければ廊下側の窓を開けようかとも思ったけれど涼しいのでその必要もなく、閉める。西側の窓に足を向け、台所側、つまり廊下側に頭を向けて横になる。
電気を消すけれど、どうも落ち着かない。部屋が真っ暗になると廊下の灯りが目に入ってきて嫌でも部屋の外の空間があるということを意識させられる。そしてこの体勢だと誰かが入ってきてもすぐに見ることができない。寝転んだまま顔を横に向けても目に入るのは白い壁だ。「誰かが入って」くる場合の誰かというのはつまり共同でこの部屋を借りている友人やアパートの他の住人や強盗とか霊的なものまで想像するのだけれど、どれもそうそう起こるとは思えず、一番可能性が高い友人でさえもこの時間帯に突然来るとは考えにくい。来たとしても何か問題があるわけではない。けれど実際に起こるかどうかはともかくとしても気になっているということは事実なので、極力気にしなくていい方法を考える。まずは頭の向きを変えて南側にする。こうすると左手に西側の窓を、右手に台所側の廊下に面した小窓を視界に入れることができる。きっとやって来るとも思えない訪問者が来てもなんとなく安心できるような気がして、ずいぶん落ち着く。次に部屋に広げていた荷物をまとめる。出しておく必要のない文庫本や服などはカバンにしまう。酒を少し飲んだコップも洗い、ペットボトルに水を汲んでおく。これでこの場所への固着感が少し減り、必要とあればさっと抜け出すことができる。何もないとは思うのだけれど。最後にリュック、携帯、小銭、財布、パソコンを等間隔に身体の両脇に並べておく。馬鹿げているような気がしながらおまじないだと思って、結界を張る。豆電球を点けると、廊下の灯りがやや薄まってこちらの6畳の存在感が増す。横になって右を向くと、流し台の上にある小窓越しにやはり廊下の灯りが目に入る。台所スペースとこちらを区切る戸の位置を調節して、風を通しつつも光が気にならない場所を探す。左を向くと網戸越しの暗闇に木陰が見えていてこれもちょうど目に入らない位置に身体を動かす。
学生時代に一人暮らしをしていた頃、マンションの部屋に入って鍵をかけてもまだなんとなく安心しきれず、キッチンと部屋を仕切るドアを閉めてようやく落ち着いたことを思い出している。少なくとも目の届く範囲に、他人の影がないという状態。誰かが入ってくるかもしれない、誰かいるということを感じざるを得ない、そういうセンサーをぜんぶ切ることのできる環境が必要で、そのギリギリのラインを探っているような感じがある。
暑さで寝苦しいこともなく、蚊の羽音を聞くこともなく、ほかの住人の影を感じることもなく、起きたら7時半だ。文章を書き始めて1時間が経っていて、書いていたらお腹が空くかと思ったけれどよくわからない。あと31時間27分でフリーキャンプが終わる。
2015年8月14日金曜日
281時間のフリーキャンプ 2:寝る場所
2015年8月7日金曜日
281時間のフリーキャンプ:持ち物
友人の大谷さん、みおさんと話していて、「281時間の本当にフリーなフリーキャンプinまるネコ堂」というのをやってみることにした。
印鑑は仕事で使っていたものを間違って持ってきてしまった。
フリーキャンプというのは通常、ぼくの知っている範囲ではあらかじめプログラムの決められていないキャンプで、集まった人同士でその日に何をしたいかを話し合いながら、その場の環境を生かして好きなことをして過ごすというものだ。
去年参加した「上勝少年探偵団」というのもその類で、徳島の山の中で沢登りをしたり川魚を食べたりヤッホーをしたりして過ごした。
今回の企画をかんたんに説明すると、というかまるネコ堂のサイトから抜粋する。
1 予め決めているプログラムはありません。参加者がミーティングなどで決めていきます。
2 途中参加、途中退出、中抜け OK。
(たとえば、8 月 15 日と 16 日だけ参加なども OK。日帰りも OK。)
3 毎日の定期ミーティングと参加者の途中参加、途中退出時点のミーティングを実施。
開催の経緯とか趣旨とかは大谷さんの案内文にとてもよく表されていてこれ以上特に付け加えることがなくて、とにかく本当にこういうことを話していてそのまま形にしてしまったという感じがする。
さっき家族に「しばらく友人の家に滞在する。いつ帰ってくるかは未定でたまに帰ってくるかも」とだけ言い残して家を出発してきた。
この281時間、およそ12日間何が起こるかわからないし何も起こらないかもしれないけれど、とりあえずさっきまで現段階の参加者であるぼく以外の3人と話していて開始時間にふらっと誰か来るのではないかとどきどきしている。
開始前に、この281時間を過ごすにあたって持ってきた物を記しておこうと思う。
・carapaceのリュック(カラシ)
・Macbook Air 11インチ、ケース
・服(短パン、Tシャツ、下着、手ぬぐい)
・イヤホン(SURE 215)、イヤホンケース、に付けた自宅の鍵
・携帯電話( au GRATINA)
・iPhone 4S(回線契約解除、wifiにつないで使う)
・月間スケジュール
・岩波文庫 マルセル・モース「贈与論 他二篇」
・万年筆(LAMY)
・水筒(evianの330mlペットボトルに水道水)
・クリップ式財布
・パスポート
・以下のものを入れるポーチ
・充電器類(Mac、iPhone、携帯用)
・アメリカンスピリット、携帯灰皿、ライター
・Kodak スナップキッズ
・歯ブラシ、髭剃り、をまとめる手ぬぐい
・印鑑
服はけっこう悩んで、あれこれ考えて寝巻にも外にも着ていけるもので早く乾きそうなものを1セットだけ持ってきた。いま着ているものと、洗濯しながら着回す。
半分冗談で「ふらっと韓国とか行っちゃうかも」とか言っていたので今回パスポートを更新して持ってきた。実際行くかどうかはともかくとしても、「その気になれば行けてしまう」というのがいい。
「贈与論」は10日の月曜日にあるゼミのため。
印鑑は仕事で使っていたものを間違って持ってきてしまった。
家に帰ることがあったら置いてきたい。
いつ自宅に戻っても、いつ海外に行っちゃっても、何日まるネコ堂にいてもOKなラインはどこだろうとだいぶ考えた。
どんな281時間になるかを、少しずつ記していきます。
2015年8月4日火曜日
東山に、書生を訪ねる その3(8月1日-2日)
「書生をしている」という友人の大谷さんを訪ねた。
東山に、書生を訪ねる
東山に、書生を訪ねる その2(7月31日)
===================
待ち合わせ時間からおよそ1時間遅れてマルイに到着して大谷さんに電話するとみんなは6階のメガネ売り場にいるというのでエスカレーターで上がる。なんでメガネ売り場にいるんだろうかと考えかけてけれど理由がわかったところで何ということもないという気分が先に立って思考が止まってただ身体は6階に運ばれて行く。
「雪駄の会」と銘打たれた会が友人5人とこの日の16時集合であって、錦市場の雪駄が売っている店に皆で行くことになっていてぼくは遅れている。最寄駅に着いて電話した時に皆はマルイに移動したことがわかって、ぼくは皆がもう雪駄を買い終えたか買わなかったか、とにかく雪駄を買う時間は終わったのだと思う。もしくはマルイに雪駄を見に行ったのか。
6階に到着するとすぐにメガネ屋のロゴが目に入ってそちらを見る。客の中に見覚えのある人を少し探してほどなく甚兵衛を着た2人の長身の男を見つけて、友人のけんちゃんと大谷さんだとわかって次にカラフルなスカートを履いたうみちゃん、帽子をかぶったみおさんを見つける。客に混じって白いワンピースのなっちゃんも見つける。
メガネ売り場の端で話を聞いているとみおさん以外は全員雪駄を買い、もう大谷さんとなっちゃんがメガネを注文したところだそうで時計を見るとまだ17時頃で、ものの1時間のうちにどれだけのことが起こったのかと驚きかけたかれどこの顔ぶれで居るとこういうことが起こっても不思議ではないという気がして落ち着く。
うみちゃんがぼくが木曜日に書いたブログの感想を伝えてくれて嬉しくなる。あの小説のようななんとも説明のつかない体験は誰にも話していなくて、けれど文字には残していてそれを読み取った人とこうして話をしているということがもう現実感がないけれど現実だ。大谷さんから話を聞くと部屋にあったパソコンも「interesting男」からもらったものだと聞いてさすがに面食らう。けんちゃんはあの日の夜、大谷さんに電話をしたけれど当然大谷さんは部屋に携帯を忘れていたので誰も出なかった。ぼくもあの夜着信音を聞いてはいないのでぼくが帰った後にかかってきたのだろう。もしぼくが部屋にいる時にかかってきていたら、大谷さんが携帯を部屋に忘れていたことをその場で知ることになっただろう。同じ時間に別々の現実が交差していてその接点をあぶり出していく作業をしている。
メガネが仕上がるまでに時間があるので河原に行く。リカーマウンテンとファミリーマートに寄って酒と食べものを買う。四条大橋から河原に降りる。その日は四条大橋北側の河原に屋台のようなものがたくさん出ていてぼくたちは橋の南側に空いている場所を見つけて6人で座って買ってきたものを広げて飲んで食べる。最初は「これちょっとちょうだい」と言いながら他の人が買ってきた酒やつまみに手を伸ばすけれど途中から誰の酒か誰のつまみかを気にせず飲み食いするようになってこれがちょうどよいと思う。各々が勝手に飲み食いしたいものを買ってきて持ち寄ってそれは誰が食べてもよいことになるという方式は「持ち寄り食会」そのものでこれが楽しい。マッコリがチェイサーだと言いながら沖縄の泡盛をこれは危険だといいながら煽る。
仕上がったメガネを受け取ってもう一度河原に出てその前にまた各々で買いものをしてからやはり飲む。今度は川の東側でこちらは暗く、川の西側の川床や店舗や屋台の明かりが目に入っていてあたりは暗くなってきている。恋愛の話や自分の呼ばれ方の話やなんの話ともつかない話をしているうちにサングリアが1本空いていて、川沿いを北に向かって歩く。こちら側から川の反対側はよく見える。向こうからおそらくこちら側は見えない。
フレスコに寄ってまた買い出しをしてまた河原に行ってまた飲んでいるといい時間になっていて解散することになる。ぼくと大谷さんとけんちゃんは東山の和室に行くことになり歩いて向かう。アパートに到着すると「interesting男」は隣の隣の部屋に住んでいて換気のためか扉が開いていてセサミストリートのクッキーモンスターの置物がドアストッパーになっている。部屋の灯りは点いていて物音はするけれど男の姿は見えず、クッキーモンスターの焦点の合わない目線と目が合う。部屋の中は猛烈に暑く、手ぬぐいを濡らして首にかけてTシャツを脱いでしまう。蚊取り線香の煙が漂っている中けんちゃんが澪さんから帰り際に渡された催しの案内文を読んで黒霧島を飲む。3人でここに座っているという時間が成立していることに現実感がないけれどやはりこれは現実で、回して吸い続けたアメリカンスピリットはもうあと2本になっている。
一夜明けて誰ともなく身支度をして部屋を出る。階段を降りると1階の共用トイレから男が出てきて 昨日お酒ありがとうございました という。男は白いタンクトップを着ていて寝起きなのか酒が入っているのか目があまり開いておらずこちらも頭がぼーっとしていて酒に心当たりがなく どうも、 と焦点の合わない目で会釈のような動きを首がする。後ろから大谷さんが続いて階段を降りてきて男がまた 昨日お酒ありがとうございました というと大谷さんは彼がinteresting男だとわかっていて返事をする。
帰ってブログをチェックすると大谷さんが昨日酒を男に差し入れていたことがわかる。やはり現実が交差している。
東山に、書生を訪ねる
東山に、書生を訪ねる その2(7月31日)
===================
待ち合わせ時間からおよそ1時間遅れてマルイに到着して大谷さんに電話するとみんなは6階のメガネ売り場にいるというのでエスカレーターで上がる。なんでメガネ売り場にいるんだろうかと考えかけてけれど理由がわかったところで何ということもないという気分が先に立って思考が止まってただ身体は6階に運ばれて行く。
「雪駄の会」と銘打たれた会が友人5人とこの日の16時集合であって、錦市場の雪駄が売っている店に皆で行くことになっていてぼくは遅れている。最寄駅に着いて電話した時に皆はマルイに移動したことがわかって、ぼくは皆がもう雪駄を買い終えたか買わなかったか、とにかく雪駄を買う時間は終わったのだと思う。もしくはマルイに雪駄を見に行ったのか。
6階に到着するとすぐにメガネ屋のロゴが目に入ってそちらを見る。客の中に見覚えのある人を少し探してほどなく甚兵衛を着た2人の長身の男を見つけて、友人のけんちゃんと大谷さんだとわかって次にカラフルなスカートを履いたうみちゃん、帽子をかぶったみおさんを見つける。客に混じって白いワンピースのなっちゃんも見つける。
メガネ売り場の端で話を聞いているとみおさん以外は全員雪駄を買い、もう大谷さんとなっちゃんがメガネを注文したところだそうで時計を見るとまだ17時頃で、ものの1時間のうちにどれだけのことが起こったのかと驚きかけたかれどこの顔ぶれで居るとこういうことが起こっても不思議ではないという気がして落ち着く。
うみちゃんがぼくが木曜日に書いたブログの感想を伝えてくれて嬉しくなる。あの小説のようななんとも説明のつかない体験は誰にも話していなくて、けれど文字には残していてそれを読み取った人とこうして話をしているということがもう現実感がないけれど現実だ。大谷さんから話を聞くと部屋にあったパソコンも「interesting男」からもらったものだと聞いてさすがに面食らう。けんちゃんはあの日の夜、大谷さんに電話をしたけれど当然大谷さんは部屋に携帯を忘れていたので誰も出なかった。ぼくもあの夜着信音を聞いてはいないのでぼくが帰った後にかかってきたのだろう。もしぼくが部屋にいる時にかかってきていたら、大谷さんが携帯を部屋に忘れていたことをその場で知ることになっただろう。同じ時間に別々の現実が交差していてその接点をあぶり出していく作業をしている。
メガネが仕上がるまでに時間があるので河原に行く。リカーマウンテンとファミリーマートに寄って酒と食べものを買う。四条大橋から河原に降りる。その日は四条大橋北側の河原に屋台のようなものがたくさん出ていてぼくたちは橋の南側に空いている場所を見つけて6人で座って買ってきたものを広げて飲んで食べる。最初は「これちょっとちょうだい」と言いながら他の人が買ってきた酒やつまみに手を伸ばすけれど途中から誰の酒か誰のつまみかを気にせず飲み食いするようになってこれがちょうどよいと思う。各々が勝手に飲み食いしたいものを買ってきて持ち寄ってそれは誰が食べてもよいことになるという方式は「持ち寄り食会」そのものでこれが楽しい。マッコリがチェイサーだと言いながら沖縄の泡盛をこれは危険だといいながら煽る。
仕上がったメガネを受け取ってもう一度河原に出てその前にまた各々で買いものをしてからやはり飲む。今度は川の東側でこちらは暗く、川の西側の川床や店舗や屋台の明かりが目に入っていてあたりは暗くなってきている。恋愛の話や自分の呼ばれ方の話やなんの話ともつかない話をしているうちにサングリアが1本空いていて、川沿いを北に向かって歩く。こちら側から川の反対側はよく見える。向こうからおそらくこちら側は見えない。
フレスコに寄ってまた買い出しをしてまた河原に行ってまた飲んでいるといい時間になっていて解散することになる。ぼくと大谷さんとけんちゃんは東山の和室に行くことになり歩いて向かう。アパートに到着すると「interesting男」は隣の隣の部屋に住んでいて換気のためか扉が開いていてセサミストリートのクッキーモンスターの置物がドアストッパーになっている。部屋の灯りは点いていて物音はするけれど男の姿は見えず、クッキーモンスターの焦点の合わない目線と目が合う。部屋の中は猛烈に暑く、手ぬぐいを濡らして首にかけてTシャツを脱いでしまう。蚊取り線香の煙が漂っている中けんちゃんが澪さんから帰り際に渡された催しの案内文を読んで黒霧島を飲む。3人でここに座っているという時間が成立していることに現実感がないけれどやはりこれは現実で、回して吸い続けたアメリカンスピリットはもうあと2本になっている。
一夜明けて誰ともなく身支度をして部屋を出る。階段を降りると1階の共用トイレから男が出てきて 昨日お酒ありがとうございました という。男は白いタンクトップを着ていて寝起きなのか酒が入っているのか目があまり開いておらずこちらも頭がぼーっとしていて酒に心当たりがなく どうも、 と焦点の合わない目で会釈のような動きを首がする。後ろから大谷さんが続いて階段を降りてきて男がまた 昨日お酒ありがとうございました というと大谷さんは彼がinteresting男だとわかっていて返事をする。
帰ってブログをチェックすると大谷さんが昨日酒を男に差し入れていたことがわかる。やはり現実が交差している。
2015年8月2日日曜日
東山に、書生を訪ねる その2(7月31日)
「書生をしている」という友人の大谷さんを訪ねた。
前回の記事 東山に、書生を訪ねる
===================
仕事のお昼休み、食堂でテイクアウトできる唐揚げカレーを買って自分の机のある部屋に戻って食べる。前日に書生を訪ねてその様子をブログに書いていたので、大谷さんはきっとみやこめっせでネットにつないで読んだはずだと思いながらiPhoneからブログが更新されているかどうかを確認するとやはり更新されている。
記事を読みながらこれは一体何なのかと驚きとも何ともつかないような心持ちでとにかく読み進める。一文一文を読むごとにぼくがあの和室で体験したことの答え合わせが書いてあるようで一体これは何なのだろうかとやはり思いながら読み進める。
スイカが置いてあったのも焼酎は空だったのにウォッカが余っていたのも見覚えのない扇風機があったのもコップがたくさんあったことも全ての理由が明らかになっている。これはもう同じ場面を違う登場人物の視点から描いた小説としか思えなくて、いや確かに小説のようではあるのだけれど事実であって、けれど読んでも読んでも「interesting男」が実在するような気がせず不思議な感覚になる。事実は小説よりも奇なりという言葉があるけれど、小説と比較される対象としての事実という扱いなのだけれどもうこれは小説のような事実であって事実のような小説だ。
あのアパートにはぼくたちのほかに住人がいて、というかぼくたちは毎日暮らしていないので住人と言えるかどうか怪しいのだけれど確かにほかの住人がいて、物音がするたびにその存在を感じてはいて、けれど実際に姿を見たことのある人は少なくてまさかいきなり扇風機をくれたり部屋に入ってきて一緒に飲んだりしているという光景がありありと想像出来るのだけれど現実感がまるでない。
うわあ、と声にならない声を唐揚げカレーを食べながら出して唐揚げをつつく。
夕方仕事終わりに大谷さんから着信が入っているのがわかってかけ返す。もうなんというか半ば興奮状態で少しの間話す。もう答え合わせかと思うようなブログでしたよ。現実とは思えないですよ。昨日現場にいた友人のむっきーと今日も一緒だというが人と会う用事があって行くことができない。これだから予定を入れるとこういうことが起こってしまうというようなことを思いながら電話を切る。
前回の記事 東山に、書生を訪ねる
===================
仕事のお昼休み、食堂でテイクアウトできる唐揚げカレーを買って自分の机のある部屋に戻って食べる。前日に書生を訪ねてその様子をブログに書いていたので、大谷さんはきっとみやこめっせでネットにつないで読んだはずだと思いながらiPhoneからブログが更新されているかどうかを確認するとやはり更新されている。
記事を読みながらこれは一体何なのかと驚きとも何ともつかないような心持ちでとにかく読み進める。一文一文を読むごとにぼくがあの和室で体験したことの答え合わせが書いてあるようで一体これは何なのだろうかとやはり思いながら読み進める。
スイカが置いてあったのも焼酎は空だったのにウォッカが余っていたのも見覚えのない扇風機があったのもコップがたくさんあったことも全ての理由が明らかになっている。これはもう同じ場面を違う登場人物の視点から描いた小説としか思えなくて、いや確かに小説のようではあるのだけれど事実であって、けれど読んでも読んでも「interesting男」が実在するような気がせず不思議な感覚になる。事実は小説よりも奇なりという言葉があるけれど、小説と比較される対象としての事実という扱いなのだけれどもうこれは小説のような事実であって事実のような小説だ。
あのアパートにはぼくたちのほかに住人がいて、というかぼくたちは毎日暮らしていないので住人と言えるかどうか怪しいのだけれど確かにほかの住人がいて、物音がするたびにその存在を感じてはいて、けれど実際に姿を見たことのある人は少なくてまさかいきなり扇風機をくれたり部屋に入ってきて一緒に飲んだりしているという光景がありありと想像出来るのだけれど現実感がまるでない。
うわあ、と声にならない声を唐揚げカレーを食べながら出して唐揚げをつつく。
夕方仕事終わりに大谷さんから着信が入っているのがわかってかけ返す。もうなんというか半ば興奮状態で少しの間話す。もう答え合わせかと思うようなブログでしたよ。現実とは思えないですよ。昨日現場にいた友人のむっきーと今日も一緒だというが人と会う用事があって行くことができない。これだから予定を入れるとこういうことが起こってしまうというようなことを思いながら電話を切る。
登録:
投稿 (Atom)