2015年1月31日土曜日

「迫り来るもの」と勝負する日々

「持ち寄り食会」と名付けられた会は、まさに勝負だった。


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問題。

(1)お世話になっていた人から声をかけてもらった仕事。「ちょっと引き受けにくい」と思いながらも「今さら断れない」という気持ちの方が強く働いている。ここで引き受けるかどうか。

(2)用事で疲れきっていて、早く帰って何か甘いものでも食べたい。帰り道、ブックオフの10%引き券が財布に入っていることを思い出す。有効期限は2日後。寄って帰ろうかという考えがよぎる。ここで帰るかどうか。

(3)誘ってもらった集まりに魅力を感じていて、とても行きたいけれど、用事でフル参加できない。夜から行けば顔は出せる。でも途中から行っても自分としてどう居ていいか分からないし、無理をする感じが気にかかる。でも行けば何かあるかもしれない。ここで行くかどうか。

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前回書いたラーメン屋の話もそうだけど、日々、重たい内容から些細なことまで、こういった問題が目の前に次々とやってくる。

こういう問いに対する「自分にとっての答え」は、問いが発生した時にもう出ているのでは、と最近思い始めている。

選択の渦中にいるときは「出ているはずの答え」はなかなか見えない。「悪く思われたくない」とか、「一応」、「今のうちに」、「せっかくやし」、「もしかしたら」、「こうしておけば」、そういう考えが強烈な力をもって自分に迫ってくる。

「出ているはずの答え」に到達できるかどうかは、「迫り来るもの」との勝負にかかっているのではないか。

残念ながら「迫り来るもの」たちに負けた場合、自分はそこには居ない。自分の居どころから外れた理屈や、見かけとしては奇麗で分かりやすい動機が残る。一見これは他人に理解されやすいけど、実際には自分も周囲も満足しない。もしくは、満足したように取り繕うことにエネルギーが注がれる。

見事「迫り来るもの」たちに勝てた場合、自分としてそこに居ることができる。見栄えが悪かったり一貫性がないこともあるけど、今自分から見えている景色については、かろうじて何か言うことができる。そこからスタートして他人とやりとりができる。

こんなことを考えていると、世に「勝ち組」「負け組」と言う場合の「勝負」は、本当の勝負ではないという気がしてくる。ただ、淡々と自分の中に「勝ち戦」と「負け戦」が積み重なっていく。これが本当の勝負なのではないか。

最初に書いた3つについては、勝ったと思う。なんだかこう書くとかっこよすぎる感じがして気持ち悪いので、ちょっと勇気がいるけど今度は負け戦のことも書いてみようかなと思う。

追記。
冒頭3つめの勝負については、やっぱり行きたかったので一概には「勝った」と言いにくい。トータルでは「負けた」感じもする。。

2015年1月28日水曜日

動機があって、勝負を重ねることで到達したラーメン屋

店内のメニューもおもしろかった。


四条河原町から叡山電鉄の修学院駅まで歩いた。
けっこう疲れた。

なぜわざわざそんなことをしたかと言えば、とある事情で「出町柳界隈に住もうか」と考え始めているから。ネットで賃貸やシェアハウスの情報を見ていても全然ピンと来ないので、とりあえず近辺を歩いてみることにした。

とはいえ今の段階では住まない可能性の方が高いので、必死に物件は探さない。「出町柳界隈から北に向かう」「その都度気が向くことをする」「明日の朝の仕事に間に合うよう帰る」ことだけ決めた。「◯◯駅付近を集中的に見る」とか、「何時にどこでお昼を食べる」とか、「何時にバスで帰る」とかは決めない。「下宿、入居希望者募集」とかいう張り紙でも見つけたらラッキーかな、というくらいの気持ち。

今日体験したことをすごく書きたくなって、どうして書きたいんだろうと考えていたら気がついた。去年からずっとおもしろがっている、寄ってたかって本を読む講読ゼミと似ている。あと、上限額を決めて各自が食べたい物「だけ」を持ち寄って開催する「持ち寄り食会」(友人の大谷さんのブログ)にも。それから、自然に囲まれた徳島の山奥で、自分たちで過ごし方を決める3泊4日「上勝"少年"探偵団」でやった沢登りの感じとも。

スタート(動機)だけ決まっていて、ゴール(目標)は決めない。そして「その都度自分が見えているもの、自分の状態をできるだけ、そのまま差し出す」という部分において妥協しない。瞬間・瞬間の勝負が積み重なり、結果として、終わった頃には思いもよらない場所に到達している。

こんなにおもしろいことはない。

きょうは到達した「ラーメン屋の時間」がなんだか嬉しかったので、ちょっと長くなったけれど書き残しておく。

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歩き始めてしばらくしてから、ラーメン屋に入った。おなかも空いてきていて、冷えた身体を暖めたかったのでちょうどよかった。

店内には欧米系の旅行者夫婦らしき2人組と、ほか数人。ぼくは出入り口近くのテーブル席に座った。ほどなく、常連らしきサンダルのおっちゃんが入店。するとちょうど会計を終えた欧米系の男性がサンダルのおっちゃんに「hajimemashite(はじめまして)」と話しかけた。おっちゃんは何か言葉を返したようだけど、欧米系の彼は自分の「はじめまして」が伝わったのか不安なのか、ぼくの方を見た。ぼくが「大丈夫、合ってる」みたいなニュアンス(ほぼ日本語)で返すと、彼は「日本語は発音が難しい」みたいなことを英語で言いながらぼくとおっちゃんの席のそばに来た。

サンダルのおっちゃんはすごくフレンドリーで、「おれは外人が話してるのをカセットに録音して聞いて、外国語を勉強した」「(欧米の彼に)この腕時計やるわ!おんなじモデルぎょうさん持ってるから」とか、次々に喋るんだけれど全部日本語なので、欧米の彼がぽかーんとした表情でまたぼくの方を見る。

「これは『訳して』ということか…」と思って、文法は無視してどうにかこうにか訳してみると、何となく伝わったらしい。なんだか通訳になれた気分がして嬉しくなり、「どこから来たの?観光?」と欧米の彼に聞いてみると、いろいろ教えてくれた。

2人はオーストラリアから来ていて、来日は7年ぶりだということ。前回京都に来たときに出会った「イシダさん」という方にふたたび会いにきたこと。「イシダさん」は今は病気で入院していて、その病院にさっき行ったが2日前に退院していたことがわかり、会えていないこと。そして自宅の住所は分からないこと。

彼がカバンから出してくれた7年前の「イシダさん」とのツーショット写真を見ながら「入院先知ってるんやったら自宅も聞けるんちゃう」「会えるといいなあ」みたいなことを考えたけど、英語が瞬時に出てこなかった。

すると彼は「この辺に住んでるの?」とぼくに聞いてきたので「いや、京都やけど別の街に住んでいて、今日はこの辺を散歩してる」みたいなことを返した。彼がぼくの名前を聞いてくれたので伝えると、向こうも名前を教えてくれた。そのあと、2人は先に店を出て行った。


見るからに「旅行者」なのはあの2人だけど、ぼくも旅行者の気分だった。初めて来る土地の、初めて入るお店で、初めて会った人と、慣れない言語でやりとりして、何だか分かち合えた感じがしたのが嬉しかった。

そのあと、コンビニや書店やスーパーに立ち寄ったりしながら修学院までぷらぷらと歩き、雪も強くなってきて身体も冷えきったので帰ることにした。

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結果、(やっぱり)「下宿、入居者募集」とかいう張り紙は見当たらなかった。でもそれは大した問題ではない。なんだかもう、ラーメン屋の一幕でけっこう満たされていた。


実はラーメン屋の前に、イスラエル料理屋(ぼくは初めて見たので珍しかった)と行列のできているトンカツ屋も見つけて気になっていた。入るか迷ったけど、見つけた時はそう空腹でもなく、温かいものが食べたかったのでスルーした。「どこにお店があるか分からないので、このあたりで食べておこう」とか考えていたら、そもそもあのラーメン屋に行くこともなかった。


珍しさと、行列と、先の見えない不安に負けていたら、きっとぼくは今日旅行者の気分を味わえていない。

2015年1月27日火曜日

夜の1時間の話。

仕事を終えた後、駅で偶然友人に会った。

きのうくらいからどうも気分が晴れなかったのだけれど
この1時間は、この2日くらいの中でいちばんいい時間だった。

年末に講読ゼミで読んだ『モモ』に出てくる「円形劇場」を思い出した。

こういう時間があれば生きていけるような気さえしてくる。

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夜、地元の最寄り駅に着く。
階段を降りていると、古くからの友人に偶然会う。

「よく駅で会うよなぁ」と言いながら改札を出る。

彼は「俺仕事辞めるかもしれんわ」と言い出す。
ぼくは「そうなんや」とこたえる。

「コンビニ行かへん」と誘われる。
傘をさして数分歩く。
彼が仕事の話をするのをきく。

友人は「この時間に帰ると晩飯ないんやわ」といっておにぎりを買う。
ぼくは体を暖めたかったので久しぶりに缶コーヒーを買う。

店を出て傘をさして歩き始める。
「ぱーちゃんは何を目指してるん」と聞かれる。
「ぼくはなんも目指してないなぁ」とこたえる。
歩きながら、ぼくも話したくなって自分のことを話す。

「帰り道逆ちゃうの」と聞かれる。
「ちょっと喋りたくなってきたし歩くわ」と返す。
「TSUTAYAでも寄って帰るか」という話になる。

住宅街を抜けながらお互いにぽつぽつと話す。
不安の話。
プレッシャーの話。

「きょう会えてよかったわ」「ジュースでもおごるよ」と彼は言う。
ぼくは「おなかちゃぷちゃぷなるからええよ」と笑う。

店に着いてなんとなく2階に上がる。
洋画コーナーを一周する。
「最近ブルーレイレコーダー買ってしもたわ」と彼は笑う。
「そういえば去年、部屋のブラウン管テレビ捨ててしもたわ」とぼくも話す。

中古DVDの並ぶ棚をぼんやり見ながら話す。
彼の職場の上司の話。
家族の話。
お金の話。
ぼくの友人の話。

1階に降りる。
中古CDの棚をみながら、
この間久々に会った同級生の女の子の話をする。

2人ともなにも借りずに店を出る。

自販機の前で「なにがいい?1時間もつきあわせてしもたし」
「ほんまやったら1万円くらい払いたいけどな、でも所持金3千円や」と彼は笑う。

ぼくは「えーっほんなら振り込んどいてや」
「じゃあ帰り道これであったまろかな」といって渡された小銭を受け取る。

ホットミルクティーのボタンを押す。
少し歩いて、「また飲みにでもいこか」と言って別れる。

缶で手をあたためながら自宅に帰る。

2015年1月26日月曜日

布団で寝れると嬉しい。

自宅に帰ると猫に会えるのも嬉しい。


このあいだ2日間、自宅に帰らず連泊していた。

1日目の夜は東山の和室に、2日目の夜はまるネコ堂に宿泊。

東山の和室では寝袋を使った。2枚使えば暖は取れるけどお尻が痛い。
まるネコ堂では布団を借りた。あったかいしお尻は痛くないしですばらしかった。

「寝袋ひとつあればどこでもやっていけます」とはよう言わんな、と思う。

では東山の和室に布団を置くことを考えるかというと、それも違うなと思う。
布団で寝たかったら布団のある場所に帰ればいい。

次の日は自宅の布団で寝た。やっぱり布団で寝れると嬉しい。

2015年1月25日日曜日

「歴史」の見え方が変わってきている。

講読ゼミの本を読んでいる。
今日読んでいたのは、網野善彦『[増補]無縁・公界・楽 日本中世の自由と平和』。この歴史学の本を読む「無縁ゼミ」(と勝手に呼んでいる)が今月から始まって、2回目に向けて読み進めている。

ぼくはこれまで、「歴史」に対してはどこか「飲み込めなさ」みたいなものを感じていた。試験のための「歴史」は、ただ粛々と暗記するもの。過去の人物のドラマチックなストーリーを追う「歴史」は、一部の人が楽しむ趣味のようなもの。

ここ半年くらいで、この見え方がすこし変わってきている。いま自分が見ている景色の下に、低い音を立てて「歴史」がうごめいているような、そんな感じがしてくる。
「歴史」について思い起こすことを書いておきたい。

高校時代。
日本史を受験科目に選ばず「定期試験さえ乗り切ればいい」と思ってやり過ごす。効率よく暗記する方法ばかり考える。

数年前。
大河ドラマ『龍馬伝』をみてみようかなと思う。数話見て興味が薄れて見るのをやめる。

去年の夏頃。
大谷さんに網野善彦の話をきく。絵巻物の隅っこに描かれている人たちの「歴史」があることを知る。

去年の秋頃。
中沢新一の『アースダイバー』『大阪アースダイバー』を痺れながら読む。久しぶりに高校時代使っていた日本史の資料集を引っ張りだしてくる。
『大阪アースダイバー』に取り上げられていた大阪の四天王寺とその界隈を歩いてみる。
『無縁・公界・楽』ゼミが開催されることになる。参加することにする。

去年の年末。
知人と飲んでいて「戦国武将で誰が好きか」みたいな話になり、何も言えずに居心地が悪くなる。なんで皆「好きな武将」の名前とその理由までばっちり言えるんだろうかと不思議に思う。

先週。
「無縁」ゼミ一回目。

数日前。
東山の和室で『無縁・公界・楽』を読む。なかなか進まない。歴史上の用語を調べる手だてがなく、わからない部分をスルーして読み続けていって、読む気がしなくなってしまう。

今日。
去年古本でわざわざ買った『日本史B用語集』とパソコンを手元に置いて、わからない部分を調べながら読み進める。おもしろい。このことをブログに書きたくなる。




2015年1月24日土曜日

「これさえ持ち出せば大丈夫」セット

ちょうどいい大きさ。これ以上大きいと、
たぶんもっと色々と入れたくなってしまう。

去年くらいから、手ぶらで出かけるとき以外は小さめのポーチを持ち歩いている。

財布と携帯はズボンやカバンのポケットに入れて、このポーチをカバンに突っ込んで出かける。「これさえ持ち出せば、ある程度どこに行っても大丈夫」と思える内容に近づくといいなあと思っていて、少しずつ中のものを増やしたり減らしたりしている。

今は、こういうものを入れている。

 ・万年筆
 ・メガネ拭き
 ・スケジュール帳(単語カード式)
   新年会の席で思いつき、試しに使ってみているもの。
   おなじく実践している山根澪さんのブログがおもしろい。
   これについては、ぼくもいつか書きたい。
 ・スケジュール帳(ノート式)
   スタンダードな見開きのもの。
   単語カードかどちらか片方だけにしたいけど、現状では難しい。
 ・メモ帳
   以前ブログに書いた、自分の考えを書きとめるためのメモ帳。
 ・フィルム式使い捨てカメラ
   友人のとある企画で持ち歩いている。
   これ、うまく説明できないのでまた書きたい。
 ・文庫本『無縁・公界・楽』
   講読ゼミで読んでいる本。
 ・コンパクトデジカメ
   記録用。最近ブログに写真を載せたくて持ち歩いている。
 ・SDカードリーダー
   出先でブログを写真を読み込む用。
 
外出の内容によって多少荷物は増えるけど、やたらと増やさないことにしている。そして、増やさなくてもたいていなんとかなる。ちなみに2日以上自宅に戻らないときは、これに歯ブラシ、下着類、場合によってタオル、ひげ剃りが加わる。

以前は「これを持って行けばあれもこれもできる」とか「これをするかもしれないので、あれを持って行こう」と考えていたけど、大抵そう考えていてもやらなかったり、やったとしてもたいして重要なことではなかったりする。

「備えあれば憂いなし」というけど、最近は「備えがあっても、ただ憂いがないだけ」という感じがする。「憂いのないように」という方向でいくと、たぶん持ち物は増え続ける。

外出中に「せっかく持ってきたんだし」とか考え始めてしまうとつまらない。「自分がどっちに曲がりたいか」をその都度把握するためのノイズは少なくしておきたい。

書いていて気がついたけど、めったに「出先でブログを公開する」ことがないので、カードリーダーは必要ない。あとメガネ拭きって要るのか。いつもポケットに入れている手ぬぐいで事足りる気がする。

やっぱり、少しずつ内容は変わっていく。こういうせめぎ合いがたのしい。

2015年1月21日水曜日

都市に潜りきる(インターネット編)

京都はもうwifi使えない場所探す方が難しいんじゃないか


以前、友人の大谷さんがブログに書いていた言葉
「私的所有を減らし、公共に潜る。都市という広大な空間に生きる。」

この「潜る」という表現がなんだか気に入っていて、ちょっと拝借したい。


去年の秋、iPhoneを電話として使うのをやめた。
携帯電話はガラケーにして、iPhoneは必要なときだけWi-Fiに接続して使っている。
どうなるかなー、と思っていたけどこの3ヶ月くらいまったく問題ない。
ないならないで、なんとでもなる。

とはいえ、ガラケーにした当初はなんとなく出先でiPhoneいじりたくて
色々調べていたら、都市は、少なくともぼくの行動圏内
(京都市内〜阪急沿線〜大阪キタ)はWi-Fiにあふれていることがわかった。

今でもたまにどうしても必要なときには、
都市にあふれているサービスに「潜って」いるので
その潜りかたを記録しておこうと思う。

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【コンビニ】
7SPOT(セブンイレブン)
 *利用上限:1日3回、1回60分まで
ファミリーマートのWi-Fi無料インターネット接続
 *利用上限:1日あたり20分×3回まで
  ・いずれも初回に利用者登録が必要。
   登録時に入力したメールアドレスでの認証が必要なので、届いたメールを
   確認できる環境が必要。
  ・登録後は、店舗内・前に行けば自動で接続される。
  ・ブラウザを立ち上げてログイン後に使用可能。

【カフェ】
at_STARBUCKS_Wi2(スターバックスコーヒー)
 *利用上限:なし
  ・ユーザー登録後、2回目以降はメールアドレスとパスワード入力で利用可能。

【阪急・阪神のほぼすべての駅】
HANKYU-HANSHIN WELCOME Wi-Fi
 *利用上限:1日あたり15分×3回まで
  ・規約に同意し、メールアドレス・任意のユーザー名を入力して完了。
  ・メールアドレス認証は不要なため、@以下のみきちんとしていれば  
   (「@gmail.com」とか)アドレス自体は架空のものでも使える。
  ・三番街、NU茶屋町、ハービス大阪、西宮ガーデンズでも利用できる。

【京都の公共施設など色々】
京都どこでもインターネット
 [KYOTO WiFi](リンク先・青色のふきだし)
  ・利用規約への同意のみで利用。
  ・1回の同意で24時間利用
 [KYOTO_WiFi02](リンク先・赤色のふきだし)  
  ・QRコードから空メール送信、「ゲストコード」が記入されたメールが届く
  ・ブラウザ起動後にログイン画面で「ゲストコード」を入力。
 ※14年12月の発表によると、ゲストコード取得の不要な「KYOTO Wi-Fi」に
  随時以降するとのこと。

そのほか、大阪市内だとOsaka Free Wi-Fi(大阪市内あちこち)というのもある。

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サービス自体はたくさんあるものの、手続きがあったりして面倒。
でもこの面倒さが、今はちょうどいい。

「インターネット編」と書いたけど他の「編」があるかどうかはわからない。
思いついたら書くかもしれない。

2015年1月20日火曜日

メモ帳を持ち歩いている。

去年の6月頃から、小さめのメモ帳を持ち歩いている。
きのう、この2冊目がちょうど終わった。


左から初代、二代目、三代目。
1枚1枚めくるタイプは、積み重なる感じがしてしっくりくる。

ふと「毎回買ってるとコストかかるな」と思い
裏紙を束ねてクリップで留め、台紙に厚紙を使って自作してみた。
でも書き始めた瞬間「こらあかんわ」と思った。

1枚1枚を大切にできる感じがしない。
書いてるそばから、10分後には捨ててしまうようなメモ用紙の束に見えてくる。
結局、文具屋でちょうどよさそうなものを買った。

最近このメモの1冊目を見返していて発見があった。
妙に気合いの入った決意表明風の日記とか、
Facebookに流れてくる記事のタイトル風になっていたりとか、
何か自分以外のものに「寄せて」書いているような感じのするものが多い。
今見るとちょっと滑稽だったり恥ずかしかったりする。

最近では「ただ書く」ことに少し近づいているような気がする。
なんとなく、コーヒーの「ドリッパー」のような使い方というか。

誰に見せるわけでもなく、周りに飛び散ることもなく、
抽出されたものがただ下へと、ぽつぽつと落ちていく。
その染みを残している感じ。

とはいえ、最近は半分「ブログの下書き」にもなりつつあって
「これブログに書いたらおもしろがってもらえるのでは」
みたいな考えが働くことも多いけど。

こんなふうに、淡々と「抽出」モードになれるような装置を
見つけていけるとおもしろいな、と思う。

2015年1月18日日曜日

ベーコンをつくった。


できあがったベーコン。やや生っぽい。


指に煙の臭いが染み付いている。
玄関先で薫製していたので、玄関に近い自分の部屋も
心なしか煙の臭いがする。

去年、友人の大谷さん・澪さん宅でベーコンづくりを一緒にやって、
あまりにも美味しくて少し分けてもらった。

それから自宅でつくることにし、今日食べられる状態になったので、
ベーコンづくりにまつわることを記録しておきたい。

レシピ風に書こうかとも思ったけど
今のぼくにとっての「ベーコン」は
「ベーコンをつくる」工程に留まらないというか
わざわざ作るに至る景色も含めて「ベーコン」なので
そのあたりも書いておきたい感じがする。


12月
分けてもらった自家製ベーコンを使った炒飯を弟と食べる。
2人で美味い美味いと言って食べる。
年明けにでもつくってみようか、と話す。

年末・年始
久しぶりに会う友人に、
「ベーコンが美味い」「炒飯が美味い」という話ばかりする。
なんだかこの話をするのが嬉しいと気がつく。
大谷さんにあらためて作り方をきく。
一応色々な方法をみておこうと思い、ネットでも作り方を検索する。
分けてもらったベーコンの最後の部分を使って炒飯をつくる。
あまり自炊しない弟が「これなら炒飯つくってみようかな」と言い出す。

1月2日
東急ハンズでスモークウッド(サクラ、378円)を買う。
色々種類が多くて迷ったけど「肉に適している」と書いてあるし
陳列数が多かったので「まあ間違いないか」と思い、買う。

1月9日
東山のフレスコで豚バラブロック肉(334g、728円)を買って帰る。
「安い肉でつくるか、いい肉でつくるか」を決めていなかったけど
「ここで買ったら今日夜始められるな」と思い、とりあえず目に入った肉を買う。
自宅で塩と黒こしょうを肉に刷り込む。
ジップロックに入れて、冷蔵庫で寝かせ始める。
弟と相談して「ベーコンの日」を決める。

1月18日11時
肉を鍋に入れた水に浸し、塩抜きをする。
近所のスーパーで、スモーカーにする段ボールをもらってくる。
オーブントースターの使っていない受け皿を、
スモークウッドを置くための皿に代用することにする。

15時頃
肉の表面の水分をキッチンペーパーで拭き取る。
S字フックに引っ掛けて、ベランダに干して乾燥させる。
弟が肉を吊るす棒を部屋から持ち出してくる。
「よくこんなちょうど良い棒あったな」と笑う。
弟と構造を相談しながら、段ボールでスモーカーをつくる。

スモーカー。このあと何度か改良した。

16時頃
スモークウッドを2/3程度に折って着火。
うまく煙がまわっているか不安になり、風の通り道を調節。
たまに火の様子を見つつ、勢いが弱まっていれば扇いで空気を送る。

20時前
肉の様子を見てみると、火種から遠い部分の色がいまいち。
肉を上下逆さまにし、火種の位置も少し変えてみる。

21時頃
スモーカーから取り出し、ベランダに干す。

22時頃
肉の断面が赤くてやや生っぽい。
フライパンであぶって、ビールをお供に家族と味見。
家族とこんな話をする。
 スモーカーの空気の入り口を火種よりも下にすると煙が逃げなさそう。
 スモーカー自体の形をもう少し縦長にすると煙がより充満しそう。
 塩抜きを一晩かけてみると塩加減が変わるのか試してもよさそう。
 塩辛いけど美味い。 
ラップでくるんで、冷蔵庫で保存する。

 

2015年1月17日土曜日

1月17日の景色

足の付け根が痛い。
しばらく家で寝込んでいたところ急に動き出したからか、
円坐とゼミで長時間座っていたからか。
さっきも床に座ってPCに向かっていたら限界を感じて、いま椅子に移動した。

今日は『無縁・苦界・楽』講読ゼミだった。
ゼミについて何か書きたいが、すぐに言葉になるような感じがないので
とりあえず沈殿させておくことにする。
沈殿させておく、という言い回しはなんだか気に入っている。

帰りにスーパーに寄ったけど何も買わなかった。
ぼくは当初「防虫剤を買う」というつもりで入店したけれど、
「どうすればセーターに穴が空かずに済むか」を考えるほうが先だと気づいたので
今日買うのは違うな、という結論に至った。
なまじ「防虫剤を買う」とやることリストに書くと、
自動的に「しないといけないこと」になって、考えるのをやめてしまう。

同じ店のたこ焼きを昼も夜も食べる、という珍しい体験をした。
おっちゃんは人柄のいい感じで良かったけど、
お好み焼きとキャベツ焼き、恐らくちょっと前に作ったやつをチンした感じだった。
その場で焼いてくれたやつを食べたかった。

そういえば腰も痛い。
きのう、ずっと無理な体勢で仕事していたのが影響しているんじゃないか。
ストレッチしてから寝ようとおもう。




2015年1月14日水曜日

東山の和室に一泊した。

以前、東山に借りた部屋を「六畳間と呼ぼうと思っている」などと書いたけど
なんだかしっくりこなくなってきたので取り消し。
特に呼び方は決めない。

先日その部屋に一泊したので、
そのときのことを書いておこうと思う。


昼11時半頃
出勤前におにぎりを食べに立ち寄る。
なんだか落ち着かず、PCで音楽をかける。
自分の空間になったような気がして、少し落ち着く。
廊下に音が漏れないだろうかと気になって、
部屋と廊下を行ったり来たりする。
おにぎりを食べて退室。

21時半頃
同僚の人と仕事場を後にする。
和室の話をすると「シェアハウスですか」と聞かれ
「ちょっと違うんです」といった会話をする。

22時前
岡田斗司夫が「漫画版エヴァも面白い」とメルマガで言っていたのを思い出す。
ブックオフに寄って、1冊108円のコミックスを数冊買う。

22時頃
記憶をたどって近場の銭湯を探す。
ほどなく1件見つかり、以前来たことのある銭湯だと思い出す。
「もう1件近くにあったはず」と思って十字路を曲がり、すぐに見つける。
こちらのほうが雰囲気がよく、入りたいと思う。
以前来た時はこの2件目が定休日だったと思い出す。
2件目の外観写真を1枚撮る。

22時過ぎ
湯冷めが心配で銭湯に入るか迷う。
とりあえず夕食とお酒を買うためのスーパーを探して歩く。
歩き回ったものの目当てのスーパーを見つけられない。
「風呂上がりならぜったい湯冷めしてたな」と少し安心する。
スーパーは諦め、和室を挟んで反対側のコンビニまで歩く。

22時半過ぎ
カップラーメンと発泡酒とつまみを買う。
「このこといつかブログに書くよな
 いかにもダメな人の夕食みたいでなんか恥ずかしいぞ」と思いつつも買う。

23時前
和室に到着する。
静かなので廊下を歩くのに気をつかう。
ガスヒーターを点けるが、寝袋に足を入れると寒くなかったので消す。
お湯が沸くのにとても時間がかかる。
和室仲間から電話があったのでカップラーメンを作りながら折り返す。
ラーメンをすすりながら漫画を読む。

24時前
トイレに行くため部屋を出る。
2軒隣の部屋からTVの音が聞こえる。
少し安心する。

24時過ぎ
歯を磨いて寝る。

深夜
寒さで目が覚める。
ガスヒーターを点けて寝袋を二重にする。
台所の窓から漏れてくる廊下の灯りと
真っ暗な窓の外が気にかかる。
ふと気味が悪くなってきて、頭の向きと寝る位置を変える。

翌朝
歯を磨いてトイレに行く。
持参したドリップコーヒーを淹れて飲む。
ずいぶん落ち着く。
隣人が起きたのか、物音がする。
なぜか自分の立てる物音が気になってすこし萎縮する。

日中、付近を散歩する。



投票に行か(け)なかった。

住んでいる街の市長選挙と議員補欠選挙に行かなかった。
行けなかったともいえる。

「投票に行くべきだ!」とか「投票なんて意味ない!」とか
何か主張したいのではなくて、そのときのことをただ書いておきたい。

年末。
選挙があることを知る。
「そうか市長変わるんか 知らんかった」と思う。
何かの紙面で候補者の顔ぶれを見て「決め手ないなぁ」と感じる。

投票日数日前。
珍しく家族と選挙の話題になる。
「投票先、決め手ないよね〜」とか
「このひと(候補者)今日見たけど写真より老けてたわ」とか、そんな話をする。
そのあと選挙公報に軽く目を通して、
「入れるならこの人かこの人かな」とぼんやり考える。

投票日前日。
夜中に体調があまりよくないことに気づく。
「ああ明日選挙か」と思い出す。

投票日当日朝。
やはり調子がよくない。
鼻水が出て、立ち上がると頭がぐらぐらする。
「翌日仕事だ 治さないと」という考えが働いて、
家で寝て過ごすことにする。
投票日であることが頭によぎったけど
「もういいや」とか「行けたら行こう」とかもなく、
ただ「よぎった」と感じる。

投票日19時頃。
家族と夕食。
食べられる分だけ食べる。
時計を見て「ああ、(投票受付時間終了まで)あと1時間か」と気づく。
「行こうと思ったら行けるな」と一瞬よぎるも、布団に入る。

投票日翌日朝。
TVをつけた直後、NHKニュースで選挙結果が放送される。
当選市長・議員の顔ぶれを見る。
「入れてたかもしれない人だ」と思う。

今。
手元に投票所入場券が残っているのを見つける。
処分するまえに文章に残しておこうと思ってブログを書く。
軽く地震があり、弟と「いま揺れたな」と話す。




2015年1月9日金曜日

部屋を借りた。

京阪三条から徒歩10分くらいのところに部屋を借りた。




ぼくを含めて友人と合計4人で家賃などを出し合って。
…という話を知人にしたら、「シェアハウスですか」と言われたけどちがう。

というのも、誰かが常に住んでいるわけではない。
最初のルールというかメンバー間の合意(※)だけがあり、
目指すところや掲げるものはない。
※このあたりについて、メンバーの大谷さんが端的にまとめてくれています

これってなんだろう。
あるものを自分だけで所有せず、各自が必要なときに必要なように使う。
カーシェアリングに近いのかも。和室シェアリングか。
これもなんだかちがうなぁ。
街中に、いつでも入れる六畳の和室を出現させたような感じ。
出現というとおおげさかな。

ここの呼び方はメンバー内で統一しておらず、
ぼくとしては「六畳間」と呼ぼうと思っている。

上にも書いたように特に目指すものがないので、
この六畳間に関して起こったことや、
見えている景色を記録していこうと思っている。

とりあえず今あるのは「借りた動機」なので、これを記しておこうと思う。

・今かかわっている仕事場がすぐ近くだということ。
 仕事終わりに徒歩10分で帰れて、そのまま寝れる場所があるのは魅力的。
・実家以外に過ごせる拠点があるっていいなと思うこと。
 気分を変えたいとき、自由に行ける拠点があるとよさそう。
・なんだかわからないけど、おもしろくなりそうだと思ったこと。

このくらい。
と言いつつも上2つはけっこう後付けというか、
これだけの理由ではわざわざ家賃出して部屋を借りないような気がする。
1時間で帰れる実家があるのに。

結局、3つめが大きいのかなという気がしてくる。
昨日はここに一泊したので、そのときのことはまた別の記事に書こうと思う。

2015年1月7日水曜日

ネットが使えなくなった。

年明けから、自宅のネットがトラブルで使えなくなった。

まあとにかく不便で仕方ないけど今の状況を記しておこうと思う。

厳密にいうと有線LANは機能しているものの、
普段使っているのはMacBookとiPhoneなので有線接続ができない。
ネットにつなぐ必要が出てきたときは、とりあえずこうして対応している。

 ・歩いて2分のファミリーマートまで行って、Wi-Fiを拾う
  (1日あたり20分×3回まで使用可。店の前や中でPCは使えないのでiPhoneを持っていく。LINEやメールを読み込む程度。)
 ・家族のスマホのテザリング機能を使う
  (自分のPCもiPhoneも使えるけど、いちいち頼まないといけないので気をつかう。)
 ・リビングにあるデスクトップPCを使う
  (接続にあたってはストレスがないけど、なんだか家族に見られているような気分になる。ブログも今これで書いている。)

最初の数日は「無駄なネットサーフィンしなくなるし、いいか」と思ってたけど
さすがに1週間近く経つとストレスを感じる。

「使えない」と書いたけど、その気になれば使えるので
厳密にいうと「気軽に使えない」ということかと思う。

「わざわざ」歩いていくとか、人に頼むとか
そういうワンクッションを挟まないといけなくなる感じ。

ワンクッション挟まず使えたほうがいいなーという気持ちと、
気軽に使えないなら使えないで何か見えてくるような気もしていて、
しばらくこの感じで生活します。