今日読んでいたのは、網野善彦『[増補]無縁・公界・楽 日本中世の自由と平和』。この歴史学の本を読む「無縁ゼミ」(と勝手に呼んでいる)が今月から始まって、2回目に向けて読み進めている。
ぼくはこれまで、「歴史」に対してはどこか「飲み込めなさ」みたいなものを感じていた。試験のための「歴史」は、ただ粛々と暗記するもの。過去の人物のドラマチックなストーリーを追う「歴史」は、一部の人が楽しむ趣味のようなもの。
ここ半年くらいで、この見え方がすこし変わってきている。いま自分が見ている景色の下に、低い音を立てて「歴史」がうごめいているような、そんな感じがしてくる。
「歴史」について思い起こすことを書いておきたい。
高校時代。
日本史を受験科目に選ばず「定期試験さえ乗り切ればいい」と思ってやり過ごす。効率よく暗記する方法ばかり考える。
数年前。
大河ドラマ『龍馬伝』をみてみようかなと思う。数話見て興味が薄れて見るのをやめる。
去年の夏頃。
大谷さんに網野善彦の話をきく。絵巻物の隅っこに描かれている人たちの「歴史」があることを知る。
去年の秋頃。
中沢新一の『アースダイバー』『大阪アースダイバー』を痺れながら読む。久しぶりに高校時代使っていた日本史の資料集を引っ張りだしてくる。
『大阪アースダイバー』に取り上げられていた大阪の四天王寺とその界隈を歩いてみる。
『無縁・公界・楽』ゼミが開催されることになる。参加することにする。
去年の年末。
知人と飲んでいて「戦国武将で誰が好きか」みたいな話になり、何も言えずに居心地が悪くなる。なんで皆「好きな武将」の名前とその理由までばっちり言えるんだろうかと不思議に思う。
先週。
「無縁」ゼミ一回目。
数日前。
東山の和室で『無縁・公界・楽』を読む。なかなか進まない。歴史上の用語を調べる手だてがなく、わからない部分をスルーして読み続けていって、読む気がしなくなってしまう。
去年古本でわざわざ買った『日本史B用語集』とパソコンを手元に置いて、わからない部分を調べながら読み進める。おもしろい。このことをブログに書きたくなる。
0 件のコメント:
コメントを投稿