2015年2月4日水曜日

無念だとしか言えない

猫は「無念」とか思うことはないのだろうか。

最近「とある場に誘ってもらった」という出来事があって、そのことをこんな風に書いた

とても行きたいけれど、用事でフル参加できない。夜から行けば顔は出せる。でも途中から行っても自分としてどう居ていいか分からないし、無理をする感じが気にかかる。でも行けば何かあるかもしれない。ここで行くかどうか。

結局この場には行かなかった。

この「行かなかった」ことをぼくは先の記事の中で「勝った」と表現した。「どう居ていいかわからない」「無理をする感じが気になる」という自分の居どころを掴めたこと、それに忠実に動けたこと、そんな手応えについて書きたかったのだと思う。

しかしこの場に参加した大谷さんと話をしていて、実際にはぜんぜん勝ってなんかいないと思い知った。むしろ勝負から逃げていた。

大谷さんはこの場に「勝負をしにいく」と言って出かけたそうだ。ぼくも、そんな感覚があった。この場は自分にとって大事な勝負になる、そんな気がしていた。

でもぼくは結局行かなかったのだ。予定もやりくりできず、どんな顔をしてリングに上がればいいかがわからず、途中出場もしなかった。不戦敗だった。

そして、あろうことか「勝った」みたいな顔をして記事を書いたことがどうしようもなく恥ずかしい。

もう、無念だとしか言えない。

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