以前は、部屋の壁にもいろいろ飾っていた。 こういうのもちょっと減った。 |
最近、身の回りを整理している。
たとえば、ポイントカード。
以前とは生活エリアが少し変わって、使わなくなったローソンのカード。
「いつか通りがかりで使うだろう」という、
来るか分からない瞬間のために持ち歩くのがあほらしくなってきた。
1,000円分のポイントをドリップコーヒーに交換して、
残った数百円分は帰り道のつまみ食いの足しにした。
たとえば、引き出しに眠っていた百貨店の商品券など。
「何か目的を持って百貨店に行く」ということをほとんどしないので、
「券を使うために」欲しくもないものを買ってしまいそうな気がしてきた。
100円ほど損する計算になるけど、チケットショップで現金に変えた。
たとえば、メルマガ。
特に商品紹介の類いは全然見ていないので、受信トレイをスキップして格納していた。
でも結局、ふとした瞬間に目に入ることがあってそれが気になるようになってきた。
目についたものからどんどん配信停止にして、使わないサービスは退会した。
前の仕事関係、大学時代のゼミやサークルのものまで残っていて、非表示にしていた。
これもふと目に入るのが気になり始めて、メールだけ残してフォルダを消した。
こういうことをしていると、澪さんのブログのこの記事を思い出す。
「ある」から「ない」への道は強烈な「ある」への出会いから始まってきたように思う。あたりまえにアメーバーのように生活に溶け込んだ「ある」ではなく、輪郭を持った「ある」が見えること。それが見えるとやっと格闘できる感じがある。ぼくは最近、不要な本とか資料といった物理的なものをどんどん処分していて、
その時の感覚と重なるものを勝手に感じている。
ここまで処分したくなるのはちょっと病的だなぁと自分でも思っていて、
「そのうち部屋空っぽになるんちゃうか」と弟に笑われる。
でも一度「ある」と認識してしまうと、その強烈な存在感がなかなか消えない。
とりあえずは気が済むまでやってみようかなと思っている。
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