去年の夏に行った徳島・上勝の山奥。 この一帯だけ、なぜかひんやりしていた。 まるでシシ神の森。 |
この間、「あるもの」を一度解体して「触り直す」ということをしている、と書いた。
これは人との縁や人間関係についても同じことがいえると思っていて、ただこの場合は物質的なものの「触り直し」に比べて、一旦解体して引っ剝がすのにはかなりのエネルギーが要るとつくづく感じている。
「ぼくがこう努力すれば」「もう少し時間が経てば」「ひょっとしたらこんな風に変化して」とか、縁を保った状態のストーリーを色々想像して「そっちのほうがいい」という気分になる。「『意味を受け取ろうとする無意味さ』を見破って誘惑にうち勝」つ、なんて勢いに乗って書いてしまったけど、実際はなかなか手強い。「有る」ものの価値に目がくらむ。
でもいくらそんな風に想像したところで、もはや自分には抗いようがないというか、自分の力の及ぶ範囲を圧倒的に越えた何かの前に成す術もなく、うなだれるしかない。
今日、映画『もののけ姫』を久しぶりに観た。
冒頭、タタリ神の呪いを受けた主人公・アシタカが村を出るシーンを観ていてぼろぼろと泣いてしまった。巫女と「定め」について話し、髷を切るアシタカの表情は凛としていた。ヤックルに乗って駆け抜けるアシタカの奥には、とても奇麗な山々が広がっていた。
「そなたには自分の定めを見据える覚悟はあるかい。」
「誰にも定めは変えられない。だが、ただ待つか自ら赴くかは決められる。」
「曇りのない眼で物事を見定めるなら、あるいはその呪いを断つ道が見つかるかもしれん。」
巫女がアシタカに語りかけている。
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