年末のゼミ合宿で読んだ『モモ』に、印象的な一節がある。
「時間どろぼう」である灰色の男たちは、主人公・モモの古くからの友だちを次々に「時間貯蓄家」にしてしまう。異変を感じたモモが友だちを訪ねることで、結果として灰色の男たちの邪魔をすることになる。それを快く思わず、モモを自分たちの術中にはめようとする灰色の男と、それに抵抗しようとするモモのやりとり。
「むだな骨折りはやめたほうがいいよ。」と彼は言いました。「われわれに立ちむかおうなんて、できるわけがないからね。」モモはあきらめませんでした。「それじゃ、あんたのことを好いてくれるひとは、ひとりもいないの?」と、彼女はささやき声でききました。灰色の紳士は背中をまるめて、きゅうにがっくりうなだれました。(ミヒャエル・エンデ『モモ』:128p)
この一節は、これまたゼミで読んだ『考える練習』の一節と通じる。
日本の自殺者は3万人になっています、世間はこんなに大変な状況です、ということに対するぼくの回答は、たとえば「カフカを読むことだ」っていうことになる。対抗すること、カウンターを出すことが遠回りだけど解決になると思う。(保坂和志『考える練習』:86p)
ぼくは去年の春から、「ぱーちゃんは今何してるの?」という問いとたたかい続けている。
たいていの場合、この問いには「次は何の(フルタイムの)仕事をするの?」「就活はしないの?(早めに動いた方がいい)」という暗黙のニュアンスが含まれていて(少なくともぼくはそれを感じ取っていて)、その都度「ちょっと一息ついてから考えようと思ってるねん」とか「知り合いからある仕事に声をかけてもらってて、どうするか考え中やねん」とか答えていた。
でも実際のところ、これは「本来あるべき場所に辿り着くまでの過渡期・移行期間」というニュアンスの返答であって、もっと言えば、そうした答えを期待する相手が安心する落としどころに向けた返答であって、自分としては全くしっくりきていなかった。
この問いに対しての、「それじゃ、あんたを 好いてくれるひとは、ひとりもいないの?」あるいは「カフカを読むことだ」に相当するカウンターはないものか、とずっと考えている。
…と、いうようなことを書きたい。
と思いながら、こたつに入って『モモ』と『考える練習』とノートパソコンを広げていた。
すると、また弟が部屋に来て「何してるん」とぼくに聞く。
「えーっと」少し考えて、ぼくは「本読んで文章書いてる」とこたえる。
「文豪みたいやな」と笑って、弟は部屋を出ていく。
弟が閉めた部屋のドアを見ながら、ぼくは「ああ」と思う。
「本を読んで文章を書いている」
これなら、一致している感じがする。
今度使ってみようか、という気分になってノートパソコンに向かう。
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