2015年2月28日土曜日

「贈り物」の呪い

壁や畳も含めて「借り物」しか映っていない。
借りたものは返せばそれで終わる。

今朝、部屋の掃除をしていたらベッドの下に箱があるのを見つけた。

中身が思い出せなかったので開けてみると、
去年、部屋のものを処分したときに捨てきれなかったものが入っていた。

子どもの頃に遊んだおもちゃ、学生時代の教科書、人からもらった本。

おもちゃも教科書も、処分する・置いておくといった扱いを決めたけど、
「人からもらった本」だけが今ぼくの机の上に佇んでいる。

この間「贈り物というのは一種の呪いのような気がする」という話をしていて、
いよいよ本当にそうだという気がしてくる。

あげる側の意図する・しないに関わらず、
ものが目に入るだけで、その人を思い起こす。

「呪い」というと怖い感じがするけど、たぶん結婚指輪がわかりやすい例で、
お互いに契約を交わすことを合意していて、そのことが指輪に込められる。

この本は別に何の契約も込められていないし、
「くれた人」に対してネガティブな感情もないけど、
「くれた人」との関係がしみ出してくるように見える。
手をつけにくい。

たぶん前の片付けの時も扱いに困って、ひとまず見えない場所にしまったのだろう。
今日、またぼくの前に現れた。

実は他にも、見えない場所にしまってあるもらい物がある。
こうなると、もらい物が「ぼくの中に居座ってしまった」という感じがするので、
隠していようが見えていようが同じことだ。

ゼミで、マルセル・モースの『贈与論』を読むのが楽しみになってきた。

0 件のコメント:

コメントを投稿