2015年2月9日月曜日

「ただ、とにかく食事をする」ということが嬉しい

年明けのゼミ。火鉢で餅を焼いて、ぜんざいをいただいた。
美味しかった。

よく遊びに行く友人の大谷さん、澪さん宅の「まるネコ堂」。
ごはんをご一緒させてもらうことも多くて、とにかく、ごはんがおいしい。

「このルッコラ庭で取れてん」「へー」と話しながら野菜を切る。
「ああー、ええ臭い」と言いながらにんにくと鷹の爪を火にかける。
おろしたチーズをつまんで「うまっ」と言いながらパスタを茹で上がるのを待つ。
盛りつけ後は黙々と、一心不乱に食べる。
たまに「うまいなぁ」と声がもれる。
食べ終わって、「ああ美味しかった」と言って箸を置く。
一息ついて、使った食器や調理器具を洗う。

いつも「ああ、食事をした。」という満足感が残る。

もちろん、この満足感にはどんな食材をどこで調達しているかも大きく影響していて、
それもお二人の試行錯誤の結果だと思うのだけれど、それだけではない気がしている。

「料理のレパートリーを増やすために、あのレシピに挑戦しようと思っている」
「せっかく外食するなら、食べログ評価の高い店に行きたい」
「フェアトレードの食材を選んで公正な社会づくりに貢献しよう」
「栄養バランスの偏らない食事をしたほうがいい」
「朝食をきちんと取って、元気よく1日を過ごそう」

こういう「食」にまつわる思想や嗜好とは位相が異なっていて、
「ただ、とにかく食事する」という感じがいいなと思う。

こういう思想や嗜好に身を任せれば任せるほど、
「食事をする」ということ自体がぼやけて、遠ざかっていく感じがある。

「おいしいおいしい」と言って、ただ、食べる。お腹が満たされる。
最近、「食事をする」とはこういうことだな、と感じ始めている。

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