まるネコ堂の庭。 |
友人の大谷さん・澪さんの自宅であり、
リュック屋さん「carapace」の工房でもある「まるネコ堂」に泊まりにきている。
おととい、ぼくが「銭湯に行きたい」と言い出し、
でも近所の銭湯は閉まっているので、
少し遠くにある銭湯に行くことになっていた。
昨日、3人で用事を終えた帰りの電車内。
予定ではこの後、最寄り駅で降りて銭湯に行くはずが、
少し様子が違ってきていた。
最初は、大谷さんだったか澪さんだったかが
「猫のごはん、あげないとなあ」とつぶやく。
ぼくは「お風呂は入りたいけど、猫のごはんの事情もあるんだったら、
無理しなくてもいいかな」と、居どころが不明な感じで言う。
ここから、ぐらぐらと、手探りの時間がはじまる。
無言の数分間。
この数日、いつもと違う時間を過ごして、だいぶ疲れてた。
そうだよね疲れたよね。
わざわざ遠い銭湯に行くのも面倒な気がする。
じゃあ銭湯に近い駅が手前にあるから、そこで降りるか。
電車を乗り換える。
なんだか銭湯のことを考えるのに疲れてきた。
近所の銭湯が空いてたら迷わず行くけど、
わざわざ遠い方に行く感じでもない。
電車を乗り換える。
早く家に帰って休みたいけど、ごはんを作るのは面倒。
じゃあいっそ外食するか。なるほど。
でも何が食べたいという感じでもない。
かなり疲れてて、銭湯に行けば癒せるんじゃないかという期待がある。
でも、家に着いて一息つけば落ち着く気がする。
結果、「近所のスーパーでお惣菜を買って帰り、
お風呂は入りたければ家で入る」というところに落ち着いた。
スーパーに寄って、ごはんを調達して、
3人でもぐもぐ食べて、ぼくはお風呂に入った。
* * *
この間、とある友人が言っていた。
「目指していた目標を達成したら、その先のゴールが分からなくなってて」
ぼくは
「目的や目標もなく、何かにすがろうとせず、
それでも楽しく生き延びていくことばかり、最近は考えてる」
と話したけれど、いまひとつ伝わった感じがしなかった。
「どう生きるか」と「銭湯に行くかどうか」では
スケールがあまりに違うように見えるけれど、
ぼくはこの「銭湯に行くかどうか」の会話にヒントがある気がしている。
結論にたどり着くまでに、たぶん1時間くらいかかった。
「いつまでもうだうだ言ってないでさっさと決めたら?」と
端から言われてしまいそうなやりとりだと思う。
渦中にいるぼくにとっても、
ボールの上の板に立っているくらい不安定な感じがするので、
「とりあえず銭湯行こう」「とりあえず帰りますか」とか言ってしまいたくなる。
逆に「今いる場所から見えている景色を差し出し合う」ことができさえすれば、
ある程度変なことにはならない、という実感が
ぼくにも、多分あとの2人にもあるので、この日はそうならなかった。
小林けんちゃんのブログ「目的や目標を中心から外す生き方」を読んで、
友人とのやりとりと昨日の体験を思い出して、書きたくなった。
目的や目標が「ない」というよりも、
「中心から外す」という感じなのかもしれないなあ。
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