2015年3月27日金曜日

「銭湯に行くかどうか」が決まる過程に、生き方を見る。

まるネコ堂の庭。

友人の大谷さん澪さんの自宅であり、
リュック屋さん「carapace」の工房でもある「まるネコ堂」に泊まりにきている。

おととい、ぼくが「銭湯に行きたい」と言い出し、
でも近所の銭湯は閉まっているので、
少し遠くにある銭湯に行くことになっていた。

昨日、3人で用事を終えた帰りの電車内。
予定ではこの後、最寄り駅で降りて銭湯に行くはずが、
少し様子が違ってきていた。

最初は、大谷さんだったか澪さんだったかが
「猫のごはん、あげないとなあ」とつぶやく。

ぼくは「お風呂は入りたいけど、猫のごはんの事情もあるんだったら、
無理しなくてもいいかな」と、居どころが不明な感じで言う。

ここから、ぐらぐらと、手探りの時間がはじまる。

  無言の数分間。

  この数日、いつもと違う時間を過ごして、だいぶ疲れてた。
  そうだよね疲れたよね。

  わざわざ遠い銭湯に行くのも面倒な気がする。
  じゃあ銭湯に近い駅が手前にあるから、そこで降りるか。

  電車を乗り換える。

  なんだか銭湯のことを考えるのに疲れてきた。

  近所の銭湯が空いてたら迷わず行くけど、
  わざわざ遠い方に行く感じでもない。

  電車を乗り換える。

  早く家に帰って休みたいけど、ごはんを作るのは面倒。
  じゃあいっそ外食するか。なるほど。
  でも何が食べたいという感じでもない。

  かなり疲れてて、銭湯に行けば癒せるんじゃないかという期待がある。
  でも、家に着いて一息つけば落ち着く気がする。

結果、「近所のスーパーでお惣菜を買って帰り、
お風呂は入りたければ家で入る」というところに落ち着いた。

スーパーに寄って、ごはんを調達して、
3人でもぐもぐ食べて、ぼくはお風呂に入った。

* * *

この間、とある友人が言っていた。
「目指していた目標を達成したら、その先のゴールが分からなくなってて」

ぼくは
「目的や目標もなく、何かにすがろうとせず、
 それでも楽しく生き延びていくことばかり、最近は考えてる」
と話したけれど、いまひとつ伝わった感じがしなかった。

「どう生きるか」と「銭湯に行くかどうか」では
スケールがあまりに違うように見えるけれど、
ぼくはこの「銭湯に行くかどうか」の会話にヒントがある気がしている。

結論にたどり着くまでに、たぶん1時間くらいかかった。
「いつまでもうだうだ言ってないでさっさと決めたら?」と
端から言われてしまいそうなやりとりだと思う。

渦中にいるぼくにとっても、
ボールの上の板に立っているくらい不安定な感じがするので、
「とりあえず銭湯行こう」「とりあえず帰りますか」とか言ってしまいたくなる。

けれど、それをやると大抵おかしなことになるし、
逆に「今いる場所から見えている景色を差し出し合う」ことができさえすれば、
ある程度変なことにはならない、という実感が
ぼくにも、多分あとの2人にもあるので、この日はそうならなかった。

小林けんちゃんのブログ「目的や目標を中心から外す生き方」を読んで、
友人とのやりとりと昨日の体験を思い出して、書きたくなった。

目的や目標が「ない」というよりも、
「中心から外す」という感じなのかもしれないなあ。

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