2015年3月29日日曜日

自分を差し出し続けて、嬉しさの残った職場。

「コントグループのラーメンズが好き」と同僚の方に話したら、
こんな本をもらってしまった。
帰りの電車で読みかけて吹いてしまったので、家で読むことにした。

今日、約1年間関わってきた職場の送別会があった。
1年前に仕事を辞めてすぐ、知り合いに声をかけていただいて、
アルバイトとして関わり始めた京都市内の公共施設。

ぼくはこの3月で退職するので、
同じタイミングで退職する方たちと一緒に送別してもらった。

なんというか、じんわりとこみ上げるものがあって、嬉しかった。

この嬉しさは何なんだろう。

以前勤めていた職場は「同僚」や「先輩」というのがいなかったので、
そうした人がいるという、ただそれだけのことが心強かった。
一緒に働く方たちが、それぞれの背景を持って、
それぞれの立ち位置で組織に関わっているのが感じられた。

いちアルバイトとしての勤務なので、複数日に渡る仕事は担いにくい。
そのかわり、他の人でないと担えない仕事を見分けて、
そこから自分の立ち位置を照らし返して自分の仕事を見つけ、担って、差し出す。
「助かったよ」と言葉をもらうことで自信がついた。

勤め始めたときは、前職の看板を僕に投影されはしないかという心配があった。
「ここに居たんだったら、これくらいは出来るだろう」とか、
そういう類いの期待をかけられるのではないか。
きっとかけられるだろうけれど、
もしそれに応えられなければ、がっかりされて、
動きづらくなる・居づらくなるのではという不安。

けれど、それは杞憂だった。

実際に働く中で感じた心強さや、自信や、戸惑いや、不安みたいなものを
周りの人にも伝えられたという感じがする。
これを続けていくことで、自分が今感じている手応えと、
周りの人の評価が一致していく感じがあって、のびのび仕事ができた。

思えばこの1年間、「率直な自分の姿を差し出して人と関わる」ということを
いろいろな場面でずっと試みてきた感じがあって、
一定の責任を負っている「職場」でそれが出来たという実感がある。

以前の自分であれば、仕事だから「こう振る舞わねばならない」とか
「これくらい出来なくてはならない」といった考えに絡めとられていたと思う。

今日も、伝えたい人に伝えたいことが伝えられ、
それが通じた感じを受け取れた。
これが嬉しかったんだろうと思う。

ここに勤め始めたとき、こういう景色が見えてくることなんて予測していなくて、
それでもそういう視界を得られているということが、とても嬉しい。

大切にしたいと思える場所が、ひとつ増えた。

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