「コントグループのラーメンズが好き」と同僚の方に話したら、 こんな本をもらってしまった。 帰りの電車で読みかけて吹いてしまったので、家で読むことにした。 |
今日、約1年間関わってきた職場の送別会があった。
1年前に仕事を辞めてすぐ、知り合いに声をかけていただいて、
アルバイトとして関わり始めた京都市内の公共施設。
同じタイミングで退職する方たちと一緒に送別してもらった。
なんというか、じんわりとこみ上げるものがあって、嬉しかった。
この嬉しさは何なんだろう。
以前勤めていた職場は「同僚」や「先輩」というのがいなかったので、
そうした人がいるという、ただそれだけのことが心強かった。
一緒に働く方たちが、それぞれの背景を持って、
それぞれの立ち位置で組織に関わっているのが感じられた。
いちアルバイトとしての勤務なので、複数日に渡る仕事は担いにくい。
そのかわり、他の人でないと担えない仕事を見分けて、
そこから自分の立ち位置を照らし返して自分の仕事を見つけ、担って、差し出す。
「助かったよ」と言葉をもらうことで自信がついた。
勤め始めたときは、前職の看板を僕に投影されはしないかという心配があった。
「ここに居たんだったら、これくらいは出来るだろう」とか、
そういう類いの期待をかけられるのではないか。
きっとかけられるだろうけれど、
もしそれに応えられなければ、がっかりされて、
動きづらくなる・居づらくなるのではという不安。
「ここに居たんだったら、これくらいは出来るだろう」とか、
そういう類いの期待をかけられるのではないか。
きっとかけられるだろうけれど、
もしそれに応えられなければ、がっかりされて、
動きづらくなる・居づらくなるのではという不安。
実際に働く中で感じた心強さや、自信や、戸惑いや、不安みたいなものを
周りの人にも伝えられたという感じがする。
これを続けていくことで、自分が今感じている手応えと、
周りの人の評価が一致していく感じがあって、のびのび仕事ができた。
いろいろな場面でずっと試みてきた感じがあって、
一定の責任を負っている「職場」でそれが出来たという実感がある。
以前の自分であれば、仕事だから「こう振る舞わねばならない」とか
「これくらい出来なくてはならない」といった考えに絡めとられていたと思う。
今日も、伝えたい人に伝えたいことが伝えられ、
それが通じた感じを受け取れた。
これが嬉しかったんだろうと思う。
ここに勤め始めたとき、こういう景色が見えてくることなんて予測していなくて、
それでもそういう視界を得られているということが、とても嬉しい。
大切にしたいと思える場所が、ひとつ増えた。
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