2015年3月26日木曜日
暮らしの中心は、ここ。
最近たのしい。
仲間と本を読む講読ゼミに参加したり、ゼミのために本を読んだり、
新しくゼミを企画したり、ゼミのコメントやレポートを書いたり。
ブログを書いたり、友人が書いたブログを読んだり、
友人にブログおもしろかったよ、と伝えたり。
用事もなくまるネコ堂に行って
とつとつと話をしたり、食事をしたり、散歩したり。
自室のものを減らしたり、どかしたり、入れ替えたり。
自分をとりまくサービスを見直したり。
「何をするか」よりも「誰が、どんな風に誘ってくれたか」で
参加する集まりを決めたり。
こんな場面が、いまのぼくの暮らしの中心。
自分をそのまま差し出して勝負する緊張感や、
「書きたいことが書けた」というなんとも言えない満足感や、
「いい文章書くね」と反応があった時の嬉しさや、
本の著者の視界が垣間見えた時の静かな興奮や、
自分を縛っていた価値観の正体を暴いた時のすがすがしさが、
これらの場面に、ちょっとずつ編み込まれている中を暮らしている。
何か分かりやすいストーリーに乗っかっていたり、
社会的に認知されやすい言葉で説明がしにくいので、
多くの人に理解される感じはないのだけれど、
確かに手応えがある。
人と自分を比べて「ああ、自分はこのままじゃまずいのでは」とか、
「先々どうするんだ」といった不安が顔を出すこともあるけれど、
そういうものは、そういうものとして、
そのままの姿を捉えていけば多分大丈夫だという気がしている。
1年くらい前は、圧倒的にそういう不安の感情の勢力が強かった感じがする。
いま、暮らしの中心はここだ、
ということを書き残しておきたかった。
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