2015年3月31日火曜日

「僕と仕事」(14)僕は「仕事」を辞めてはいなかった。

およそ1年前の、北海道の海。


【前回の続き】

そういう意味では、たぶん僕は「仕事」を辞めてはいなかったと思う。

勤めていた組織は退職し、
担当業務の中には全うできなかったものもあり、
収入も一時途絶えた。

ハローワークでは「求職者」、
キャリアコンサルタントからは「転職活動中」と呼ばれ、
一時期は友人に「人生の夏休み中」と説明した。

これらだけ見たら、ぼくは「仕事を辞めた人」だ。
僕もそう思う。

けれど、前の仕事を辞めたこと、
ご縁のあった仕事を辞退したこと、
そういう過程も含めて、僕にとっては「仕事」だった。
自分を全うして生きるために、必要な過程だと思える。

先日開いた場で、澪さんから
「ゼミも4月からの仕事も、やろうとしていること同じではないか」
という意味のことを言われた。
まさにそうだと思う。

「仕事」という言葉には、お金を稼ぐとか、
社会の構成員として認められるとか、やりがいを求めるとか、
人の役に立つとか、色々な要素が投影されている。


以前は、「仕事」にまつわるたくさんの要素を、
勤め先で担っている仕事に全てを投影していたような気がする。
けれど、そういうものを一旦横において
純粋に「仕事」というものだけを抽出してみると
違った景色が見えてきた。

これからも僕の「仕事」は続きます。

「僕と仕事」(13)自分として何かを全うし切るという「仕事」。他人に憧れている場合ではない。

リュック屋さんを始めた友人。
やっぱりかっこいい



前回のつづき】

以前は、フリーランスや、自営業のような動き方に憧れるというか、
その方がよいのではないかと思うこともあった。

これに限らず、周りの人の働きかたを見て憧れることもある。

「自分で創ったものを売る」ということ。
「組織内の役職が上がり、その責任を全うしようとする」こと。
「組織から離れて、自分自身で場をひらく」ということ。
「医者になると決めて、受験し直して合格する」ということ。

けれどそれらは、少なくとも今の僕がすべき・せざるを得ない「仕事」ではなく、
今、「どうしようもなく」それをしている・しようとしている人たちの
「仕事」なのではないか。

「どうしようもなく」というのは「不本意に」という意味ではなく、
「自分として、それを全うしようとしている」という意味で。

小林けんちゃんが、自身の結婚パーティで
「こんな風にしか生きられない僕たち」と言っていたのが忘れられない。

自分が今立っている場所で、自分として何かを全うしようとしている人は、
きっと「自分の仕事をしている人」だ。

そういう意味で「仕事」を捉えると、自分の「仕事」はもちろん、
自分以外の人がしている「仕事」がとても尊く、
愛おしく、敬意を払いたいと思えてくる。

憧れている場合ではない。

(つづく)

「僕と仕事」(12)死にたくないので、やらざるを得ない。

「仕事」や「働く」について話す場をひらいた、
東山の和室から見える風景。

前回の続き】

以前書いたけれど、「仕事」や「働く」について話す場を開いた。

これ以降「仕事」というものの見え方ががらりと変わってしまった感じがするので、
それについて書き残しておこうと思います。

* * *

僕はこの4月から、とある組織の職員として働くことになっている。

先日の場に来てくれたメンバーと色々と話す中で、
僕にとって今回の就職は「リベンジマッチ」だということがよくわかった。

勤めている組織の中で、どれだけ自分として率直に在り、
人と関わっていくことができるかの勝負。

僕は以前、苦しいとか、嬉しいとか、心配だとか、不安だとか、楽しみだとか、
そういう率直な感情を職場でほとんど表明できなくなってしまった時期があった。
息ができない感じが続いて、明らかに悪循環に陥っていて、
とにかく状況を変えるしかどうしようもなかった。

仕事自体にはとても意味を感じていたし、精一杯働いていたのだけれど、
そのほか色々なタイミングや事情なども重なって、仕事を辞めた。

仕事を辞めてからのこの1年間は、
人と会う・話す・文章を読む・書くといったことをやってきた。

先日の場で初めて気がついたのだけれど、
どの場面でも、「いかに率直な姿で居られるか」を試みてきた気がする。

こういう僕の振る舞いを見た友人からは
「体力・筋力がある」「分析していく感じがすごい」
「生きるのに真面目だ」と言われたけれど、
僕としては「やろうとしてやっている」というよりも、
どうあっても、やらざるを得なかったという感じだ。

これができないなら、死んでいるも同然という感じ。
なので、やりたいかどうかという範疇を越えて、
死にたくないので、やらざるを得ない。

これが、今僕がすべき・せざるを得ない
「仕事」なのではないかと思う。

(つづく)

2015年3月30日月曜日

自由と責任の話。

まるネコ堂ゼミは、校舎もカリキュラムも単位もない
「大学」ではないか。

「自由にはそれなりの責任が伴います」という言い回しがある。
以前からこれを聞くたびに、ずっと気持ち悪いなと思っていた。

最近その「気持ち悪さ」の正体が見えてきた気がしている。

この一文を読み替えると、
「ぜひ自由に振る舞ってください。ただし、責任は自分自身で取ってください」となり、
もう少し続くとすれば
「もし何か起こっても私は責任を負えませんので、あしからず」となる。

このように言われる空間の中で、
人は自由に振る舞うことができるだろうか。

おそらく難しい。

* * *

「自由に振る舞う」ということについて考えるとき、
僕はゼミや、持ち寄り食会や、仕事の会のことを思い出す。

大谷さんの言う「場が壊れることをも厭わない言動」や、
小林けんちゃんの言う「丁寧で、ちゃんとした自分勝手な振る舞い」は、
ゼミや食会における参加者の「自由」な言動をとても的確に表現している。

 ■まるネコ堂ブログ「【118】ファシリテーターでない者の責任は、場が壊れることをも厭わない言動。」
 ■小林健司のブログ〜円坐のように生きる〜「寄ってたかって本を読む、まるネコ堂ゼミが面白い。」

大谷さんは上記のブログの中で、ファシリテーターを
「命がけで場を守っている人」と表現している。
それに対してファシリテーターでない者の責任は
「自分の言動によって場が壊れることをも厭わない」であるとしている。
それらが同時に存在することで、誰も予測のできないことが起こる。

命がけで守ろうとする人と壊れてもいいから全力で振る舞う人が
同時に同じ場に存在するというのは、
矛盾するような気もするけれど、
いや、文字通り、完全なる矛と完全なる盾の勝負なのであって、
だからこそ誰も想定できない状況が出現しうるのだろう。
—まるネコ堂ブログ【118】ファシリテーターでない者の責任は、場が壊れることをも厭わない言動。

これこそがゼミの面白さであって、
こうしてそれぞれがブログに書いたものを読み合っていく中で
「ゼミのおもしろさ」が言語化されていく過程自体もまた面白い。

ちなみにゼミではおそらく、
本そのものや著者が「命がけで場を守る」機能を果たしている。
だから、著者が自分の存在をかけて書いたような本でなければ、
ゼミは成立しにくいと思う。

* * *

「自由にはそれなりの責任が伴います」

これを言う人が守っているのは
「場」ではなく「自分」であるという気がする。
「たとえ場が壊れても、私の責任ではありません」と。

この一文が発せられた空間には、
本当の意味での「自由」は実現しないのではないか。

場にいる人はおそらく、それぞれに自分を守るために萎縮したり、
当たり障りなく振る舞ったりするだろう。

「自由に」と言いつつ、かなりの可能性で「自由」にはならない。
そして恐らく、場が壊れるとも考えにくい。
なんだか、ずるい。

円坐やゼミの前口上で冒頭の一文を述べられたりしたら、
肩すかしをくらってしまうと思う。

2015年3月29日日曜日

自分を差し出し続けて、嬉しさの残った職場。

「コントグループのラーメンズが好き」と同僚の方に話したら、
こんな本をもらってしまった。
帰りの電車で読みかけて吹いてしまったので、家で読むことにした。

今日、約1年間関わってきた職場の送別会があった。
1年前に仕事を辞めてすぐ、知り合いに声をかけていただいて、
アルバイトとして関わり始めた京都市内の公共施設。

ぼくはこの3月で退職するので、
同じタイミングで退職する方たちと一緒に送別してもらった。

なんというか、じんわりとこみ上げるものがあって、嬉しかった。

この嬉しさは何なんだろう。

以前勤めていた職場は「同僚」や「先輩」というのがいなかったので、
そうした人がいるという、ただそれだけのことが心強かった。
一緒に働く方たちが、それぞれの背景を持って、
それぞれの立ち位置で組織に関わっているのが感じられた。

いちアルバイトとしての勤務なので、複数日に渡る仕事は担いにくい。
そのかわり、他の人でないと担えない仕事を見分けて、
そこから自分の立ち位置を照らし返して自分の仕事を見つけ、担って、差し出す。
「助かったよ」と言葉をもらうことで自信がついた。

勤め始めたときは、前職の看板を僕に投影されはしないかという心配があった。
「ここに居たんだったら、これくらいは出来るだろう」とか、
そういう類いの期待をかけられるのではないか。
きっとかけられるだろうけれど、
もしそれに応えられなければ、がっかりされて、
動きづらくなる・居づらくなるのではという不安。

けれど、それは杞憂だった。

実際に働く中で感じた心強さや、自信や、戸惑いや、不安みたいなものを
周りの人にも伝えられたという感じがする。
これを続けていくことで、自分が今感じている手応えと、
周りの人の評価が一致していく感じがあって、のびのび仕事ができた。

思えばこの1年間、「率直な自分の姿を差し出して人と関わる」ということを
いろいろな場面でずっと試みてきた感じがあって、
一定の責任を負っている「職場」でそれが出来たという実感がある。

以前の自分であれば、仕事だから「こう振る舞わねばならない」とか
「これくらい出来なくてはならない」といった考えに絡めとられていたと思う。

今日も、伝えたい人に伝えたいことが伝えられ、
それが通じた感じを受け取れた。
これが嬉しかったんだろうと思う。

ここに勤め始めたとき、こういう景色が見えてくることなんて予測していなくて、
それでもそういう視界を得られているということが、とても嬉しい。

大切にしたいと思える場所が、ひとつ増えた。

2015年3月28日土曜日

「仕事」や「働く」について話す場を開いた。



昨日、仲間内に呼びかけて「仕事」や「働く」について話す場を開いた。
6畳の和室に8人で坐って、ただ話した。

なんというか、すごい体験だった。
この時間のことを安易に言葉にしてしまうことに抵抗もあって、
ブログに書くようなものなんだろうか、という気もする。

「こういうことがわかった」とか「これが見えた」みたいに
表現してしまうのは嫌で、
それでも何かを書き残しておきたいという気持ちになっている。

場を開くまでは、
僕の話をどのくらいして始めようか、とかを考えて、
きっと事前に考えてもあまり意味がないと思って、やめて、を繰り返していた。

開いてみると、
自分の話しかしてないぞ、自分でも何を言いたいかわからなくなってきた、
わざわざ皆来てもらったけどこれでいいのかとか、
自分が丸裸になっていく怖さとか、そういうものが一挙に迫ってくる。

終わってみて、
一人では到底見えなかったものが見えている感じがあって、
今回来てもらったメンバーに助けられたというか、
でも「情けをかけられた」という感じも、
最初気にしていた「僕の話につきあわせている」という感じもなくて、
同じ船に乗っている仲間になれた感じがあって、
その言いようのない嬉しさと、心強さと、エネルギーを使い切った疲れと、
自分の中身が入れ替わったような気持ちよさが残っている。

今は、見えているものを、
ずっと書き続けている「僕と仕事」に書いてみたいという気持ちでいる。

2015年3月27日金曜日

「銭湯に行くかどうか」が決まる過程に、生き方を見る。

まるネコ堂の庭。

友人の大谷さん澪さんの自宅であり、
リュック屋さん「carapace」の工房でもある「まるネコ堂」に泊まりにきている。

おととい、ぼくが「銭湯に行きたい」と言い出し、
でも近所の銭湯は閉まっているので、
少し遠くにある銭湯に行くことになっていた。

昨日、3人で用事を終えた帰りの電車内。
予定ではこの後、最寄り駅で降りて銭湯に行くはずが、
少し様子が違ってきていた。

最初は、大谷さんだったか澪さんだったかが
「猫のごはん、あげないとなあ」とつぶやく。

ぼくは「お風呂は入りたいけど、猫のごはんの事情もあるんだったら、
無理しなくてもいいかな」と、居どころが不明な感じで言う。

ここから、ぐらぐらと、手探りの時間がはじまる。

  無言の数分間。

  この数日、いつもと違う時間を過ごして、だいぶ疲れてた。
  そうだよね疲れたよね。

  わざわざ遠い銭湯に行くのも面倒な気がする。
  じゃあ銭湯に近い駅が手前にあるから、そこで降りるか。

  電車を乗り換える。

  なんだか銭湯のことを考えるのに疲れてきた。

  近所の銭湯が空いてたら迷わず行くけど、
  わざわざ遠い方に行く感じでもない。

  電車を乗り換える。

  早く家に帰って休みたいけど、ごはんを作るのは面倒。
  じゃあいっそ外食するか。なるほど。
  でも何が食べたいという感じでもない。

  かなり疲れてて、銭湯に行けば癒せるんじゃないかという期待がある。
  でも、家に着いて一息つけば落ち着く気がする。

結果、「近所のスーパーでお惣菜を買って帰り、
お風呂は入りたければ家で入る」というところに落ち着いた。

スーパーに寄って、ごはんを調達して、
3人でもぐもぐ食べて、ぼくはお風呂に入った。

* * *

この間、とある友人が言っていた。
「目指していた目標を達成したら、その先のゴールが分からなくなってて」

ぼくは
「目的や目標もなく、何かにすがろうとせず、
 それでも楽しく生き延びていくことばかり、最近は考えてる」
と話したけれど、いまひとつ伝わった感じがしなかった。

「どう生きるか」と「銭湯に行くかどうか」では
スケールがあまりに違うように見えるけれど、
ぼくはこの「銭湯に行くかどうか」の会話にヒントがある気がしている。

結論にたどり着くまでに、たぶん1時間くらいかかった。
「いつまでもうだうだ言ってないでさっさと決めたら?」と
端から言われてしまいそうなやりとりだと思う。

渦中にいるぼくにとっても、
ボールの上の板に立っているくらい不安定な感じがするので、
「とりあえず銭湯行こう」「とりあえず帰りますか」とか言ってしまいたくなる。

けれど、それをやると大抵おかしなことになるし、
逆に「今いる場所から見えている景色を差し出し合う」ことができさえすれば、
ある程度変なことにはならない、という実感が
ぼくにも、多分あとの2人にもあるので、この日はそうならなかった。

小林けんちゃんのブログ「目的や目標を中心から外す生き方」を読んで、
友人とのやりとりと昨日の体験を思い出して、書きたくなった。

目的や目標が「ない」というよりも、
「中心から外す」という感じなのかもしれないなあ。

2015年3月26日木曜日

暮らしの中心は、ここ。



最近たのしい。

仲間と本を読む講読ゼミに参加したり、ゼミのために本を読んだり、
新しくゼミを企画したり、ゼミのコメントやレポートを書いたり。

ブログを書いたり、友人が書いたブログを読んだり、
友人にブログおもしろかったよ、と伝えたり。

用事もなくまるネコ堂に行って
とつとつと話をしたり、食事をしたり、散歩したり。

自室のものを減らしたり、どかしたり、入れ替えたり。
自分をとりまくサービスを見直したり。

「何をするか」よりも「誰が、どんな風に誘ってくれたか」で
参加する集まりを決めたり。

こんな場面が、いまのぼくの暮らしの中心。

自分をそのまま差し出して勝負する緊張感や、
「書きたいことが書けた」というなんとも言えない満足感や、
「いい文章書くね」と反応があった時の嬉しさや、
本の著者の視界が垣間見えた時の静かな興奮や、
自分を縛っていた価値観の正体を暴いた時のすがすがしさが、
これらの場面に、ちょっとずつ編み込まれている中を暮らしている。

何か分かりやすいストーリーに乗っかっていたり、
社会的に認知されやすい言葉で説明がしにくいので、
多くの人に理解される感じはないのだけれど、
確かに手応えがある。

人と自分を比べて「ああ、自分はこのままじゃまずいのでは」とか、
「先々どうするんだ」といった不安が顔を出すこともあるけれど、
そういうものは、そういうものとして、
そのままの姿を捉えていけば多分大丈夫だという気がしている。

1年くらい前は、圧倒的にそういう不安の感情の勢力が強かった感じがする。

いま、暮らしの中心はここだ、
ということを書き残しておきたかった。

LINEから離脱して、2週間が経った。

通信環境を変えてから、
「連絡を取る」ということへの見方も変わった。

LINEのアカウントを削除した。
2週間が経ったけれど、今のところ特に困っていない。

使い始めて数年間、ほとんど携帯メールのような使い方をしていたれど、
なんだか最近疲れてきてしまって、アカウント自体を削除することにした。

最後まで気にかかっていたのは、
「LINEだけでつながる人の連絡先が分からなくなる」こと。
とりあえず、携帯の連絡先などをメッセージで送った。

でもよく考えてみれば
「LINEがなければ連絡先が分からなくなる」というのは事実だけれど、
字面そのままの意味でしかなくて、単に「分からなくなる」。

お互いに連絡を取りたいと思えば、
別の方法を使うなり人づてに聞くなりして、
大抵なんとかなるんじゃないかと思う。

もう一つ気にかかっていたのは
「なんだか印象が悪い」、これが一番しんどかった。

個別に連絡先変更を伝えるならともかく、
グループへの投稿がしんどい。

LINEのグループというのはちょっと独特の空気感があって、
日程調整などの目的を持って投稿する人もいれば、
メンバーの飲み会の写真を共有したり、
たまにスタンプの応酬で遊んだりする人とかがいる。
ぼくもたまにそうやって遊んだ。

そういう空間に突然「LINEを退会します」と投げるのは、
「あなたたちとはもう関わりたくありません」と
受け取られるんじゃないかと思って、けっこう勇気が要った。

盛り上がっているパーティの最中に
「じゃ、用事があるので」と真顔で言い残して、一人抜けるような気分。

でも、「連絡を取りたくない人との関係を切る」
ということをしたいわけでもない。

会いたい時に会いたい人に会いたいし、
取りたい時に連絡を取りたい。
単にそれだけなのに、
LINEは、それをストレートにさせてくれない感じがある。

これまで出会った人たちとは、
関わりの濃さとか長さとかタイミングとか、
色々なものが混ざった結果として、今の関係が出来上がっている。
それは優劣ではなくて、単に「違い」としてそこにある。

そういう「違い」を全部一緒くたに扱われて、
一個の箱にぶち込まれているような感じ。
LINEはそういう仕組みだなあということに気がついて、
それが気になって仕方なくなってきたので、使うのをやめた。

アカウントもアプリも削除した後、
携帯メールに連絡をくれた友人が何人かいた。
つながり直せた感じがして、嬉しかった。

2015年3月25日水曜日

「僕と仕事」(11)

「『仕事』や『働く』について話す会」は
ここでやる。

前回の続き】

今日は「まるネコ堂」に来ている。

去年から続けているゼミのWebサイトをリニューアルしようということになって、
昼過ぎからずっと作業して、試作版ができた。
作ること自体も楽しくて、けっこう納得がいっていて、おもしろい。

目に見えるお金の流れはないけれど、
これはもう僕の中では完全に「仕事」だ。

* * *

「僕と仕事」というタイトルでここのところずっと記事を書いていて、
なんだか最近、急に書けなくなってしまった。
時系列でずっとこの1年間を追ってきて、
「現在」に近づけば近づくほど、その感覚を言葉にしようとするのが難しい。
少し書いても「あれ、なんかちがう」という感覚に襲われる。

今月27日に、近しい人に声をかけて
「『仕事』や『働く』について話す会」をやってみることにした。

「僕と仕事」を書き始めた動機も、この会をやると決めたことが大きくて
「書いていく中で何か分かるのではないか」と思い始めたからだった。

「なんとか27日までに、今の自分のことをまとめておきたい」
という気持ちが強く出て、なんとかして、何かを言おうとしていた感がある。

でもそもそも、ずっとこの1年間、もっと言えばもう5年くらい
考えてこざるを得なかったテーマについて、
そう簡単にまとまる方が変だなとも思い始めた。

もう、自分でもよくわからないという状態だけれど、
その感じも持ち込んで27日を迎えるしかないという気がしてくる。

2015年3月22日日曜日

5.5畳を動き回る暮らし。

親戚が昔使っていたこたつ机。レトロな感じ。
こたつ用のコードが古すぎて使えない。

最近、部屋をいじるのが楽しい。

実家住まいで、自室は5.5畳ほど。
決して広いとは言えない。

ただ、この半年くらいは自室のものをどんどん処分しているので
ずいぶん広く使えるようになってきた。

昨日、ずっと部屋の真ん中に居座っていたこたつ机
(こたつ機能が壊れているので、実質的にただの机)を試しに撤去してみた。
捨てたわけではなくて、壁の隅に立てかけてただけ。

すると案外スペースができる。足がのばせる。
好きな方向に寝っ転がれる。

そういえば、中学生の頃に自分の部屋を持ったとき
テーブルを部屋に置くのが憧れだった。
飲み物を入れたマグカップを置いて、雑誌を広げて…みたいな。

こたつ机をどかしてみて、
ずーっと染み付いていた「憧れ」が、
こたつ机と一緒に剥がれた感じがした。

ぼくが机に託していた「憧れ」は、もう効力が切れていた。
この机は、とっくに役目を終えていた。

今は、こたつ机がずっと置いてあるよりも、
ブランケットとクッションとノートPCあたりを持って、
好きに動き回ってごろんとできる方がいい。
作業に必要なときだけ、机を出す。

あまりにも新鮮で楽しくなってきたので、
昨日の晩はベッドから布団をおろして床で寝てみた。
非日常感があって楽しい。

そろそろ、ベッドも要らないんではないかと思い始めている。
処分にお金かかりそうだなあ。

2015年3月21日土曜日

河原と『ドキュメント72時間』にみる「辺境」と「中心」

四条大橋は少し騒がしい。
三条から北あたりがちょうどいい。

河原が好きだ。

最近、川のほとりでおにぎりを食べたり、散歩したりする機会が増えた。
この前は、友人と河原で平日の昼間から飲んだ。

今日は予定がひとつ流れて、部屋に居たくなかったので家を出た。
ぷらっと歩いて、近所の河原に行き着いた。

河原は、特に理由もなく、ただそこに居られるというのがいい。

ぶつぶつ言いながら木の棒を振り回すおじさん、
いちゃつくカップル、お弁当を食べる女性、
鳥に餌をやり続けるおじさん、外国人らしき観光客。

昔「河原者」と呼ばれた屠畜や皮革加工に携わる人達が、
のちに差別の対象となっていった歴史がある、という話を思い出した。

最近ゼミで読んだ『日本・現代・美術』(椹木野衣)の中に、
近代という時代は「絶対性や中心性」を失った「素性のなさ」が特徴である、
という趣旨のことが書かれていたのを思い出した。
神も王もいなくなり、西欧のように自分たちで「自由」や「平等」を勝ち取った歴史もない。
寄って立つ根拠も、目的も失った、あてどのない時代。

ぼくは最近、吸い寄せられるように河原に行く。

* * *



NHKの『ドキュメント72時間』も好きで、最近毎週観ている。
これも、河原が好きな理由と似ている。

72時間、同じ場所にカメラを置いて定点観測し、
そこに行き交う人に話をきく、というだけの番組。

新宿のハローワーク、北海道の学生自治寮、
秋田の漁港にあるそば・うどん自動販売機前、
高円寺の銭湯、国道16号線、郊外のガソリンスタンド、
日本最北端のバス停前、青森の恐山…。

取り上げられる場所は、いつも「中心」というよりも「辺境」。

娘の部活の試合の応援に行く途中でガソリンスタンドに寄ったシングルマザー。
営業の疲れを癒すために銭湯に来た、大道芸人夫婦。
若い頃に母親の看病のために漢方を学び、
母が亡くなった今も、毎日国道16号線沿いの野草を採集し続けるおばあちゃん。

「辺境」の土地に張り付くことで、
行き交う人それぞれの「中心」が、ほんの一瞬垣間見える。

そういえば番組のテーマ曲も『川べりの家』。




* * *

「辺境」は、自分が居る場所とは別に「中心」があると想定したときに立ち現れる。
しかしそのような「中心」はあるようで、実際にはない。
あるいは、最大公約数としてのバーチャルな「中心」はあるのかもしれない。

でもそこは、自分の居どころとぴったり重なりはしないので、少しだけ位置がずれる。
自分がどこに居るかを確かめることによってでしか、ほんとうの「中心」は見えてこない。

「辺境」にこそ、「中心」がある。




2015年3月20日金曜日

「僕と仕事」(10)「事務局」のない企画

不思議の国のアリス (新潮文庫)
『不思議の国のアリス』を読みます。
4月25日(土)開催。参加申込受付中

前回のつづき】

年明け。

夏頃から参加し始めて、定例メンバーで続けていたゼミ

友人を交えてセミ・クローズドで開催したところ、
思いのほか手応えがあったので、
「今度は参加者を募ってみよう」ということになった。

ある日、ゼミの定例メンバーで打ち合わせの機会を持った。
京都市内のカレー屋でひととおり話し、
そのあと、メンバーの自宅、
メンバー共同で借りている東山の和室と、場所を変えて話を続けた。
各々にとってゼミとはどのようなものか。
参加費はいくらに設定するのか。
人はどのようにして募集するのか。

話の途中で、おもしろいことが起こった。
以前「事務局をやる」と宣言していたメンバーが、
この日「事務局やめます」と宣言した。

どのような経過をたどったのか、細かく思い出すことができない。
ともかく、それぞれが見えているもの・感じていることを
率直に差し出していった結果として、「事務局」がなくなった。

先日、メンバーから「事務局をやる」と聞いてから、
ぼくは今回のゼミに対して少し受け身になっていた。

「募集までの段取りに関しては、また連絡があるだろう」
「打ち合わせも、いつかやるだろう」

でも、どこか変な感じだった。
ここ最近のゼミは「参加」しているというよりも、
ぼく自身も「運営」している、場をつくっている一員だという感じがあった。
「事務局」ができたとたん、さーっとその感覚が引いていった。

この日、「事務局」がなくなったとたん
「ぼくの企画である」という感じが戻ってきた。
同時に、頭がまわり始めた。

「誰に声をかけようか」
「広報文をつくりたい」

広報担当も、受付担当も決めなかった。
根っこの部分だけ共有して、概要だけきちんと決めておき、
各自で広報文は勝手につくる。
勝手にそれぞれが呼びかける。

これまでにぼくが当たり前だと思ってきた企画のやり方とは違っていた。
お金になるという確証もない。
それでも「これは仕事だ」という感覚が、確かに手元にあった。

(つづく)


2015年3月19日木曜日

お金を使う・稼ぐこと、「社会に適合する」こと

なんとなく、うちの猫。

以前より、あまりお金を使わなくなった。
たぶん「ストレスを紛らわすための支出」が減っている。

前はもっと頻繁に100円台のチョコレートをコンビニで買ったり、
半額キャンペーンのたびにTSUTAYAでレンタルCDを漁ったりしていた。

もちろん、収入自体が減っているので
「むやみにお金使わないでおこう」という考えが働くせいもあるけれど、
かと言ってすごく何かを我慢していたり、
神経を使って節約生活に励んでいるかというと、そうでもない。

金券ショップで電車の回数券を買ったりはするけれど、
それが実って支出が減っているという感じもない。
今月は衝動買いに近いCDの買い方もした。

友人にこんな話をした後で、
「週に5日働けるかどうか不安」
「最近、どんどん社会不適合感強くなってて」と話したら、
「むしろ、適合してる感じがするけどなあ」と言われた。

友人いわく、
「だいたいの人は、不適合になるために仕事してるようなもの」だという。
「週末のビールのために仕事してる」とかはその典型で、
過度に適合しようとしてぐーっと我慢して、一気に発散する。

音楽の趣味で出会った人が
「ライブ行くために仕事してる」と言っていたのを思い出した。
よくわかる。

そう言われてみると、最近はストレス自体が多くなく、
過度に適合しようという感じが少ないからか
そういう発散の仕方をする機会は減っている。

社会の「こうあるべし」という基準に無理して合わせていくと当然ひずみが出るので、
それがお金の動き(稼ぐこと・使うこと)にあからさまに影響する感じがする。

「これだけ頑張ったのに、これだけしか稼げないのか」
「これだけ稼いだんだから、これくらい使ってもいいだろう」

こういうこと、すぐに言いたくなるよなあと思う。
こういうのに振り回されるのがしんどい。

2015年3月18日水曜日

「僕と仕事」(9)

今年の年明けはすごい雪だった。

前回のつづき】

以前から関わりのあった組織が人を雇うことになり、
声をかけていただいた。

かなり前から雇用が生まれる可能性は聞いていて
「その時は」と言ってもらっていた。
ずっと頭にその件はよぎりつつ、答えを保留にさせてもらっていた。

一人で悶々と考えた。
何度か結論を出した気になったけれど、
何度も考え直した。

友人に相談した。
15分話をきいてもらって、その様子を録音して聞き直した。
家に帰ってみて、何度か同じことをやった。
夜中にSkypeをつないで、何時間も話した。

こういうことを何度も繰り返して、結論が出た。
というかずいぶん前から結論は出ていたのだけれど、
出ていた結論を受け入れることができた。

声をかけてもらった人との関係性とか、お金とか、今後のキャリアとか、
「仕事そのもの」以外の要素をあれこれ投影していて、
ほんとうのところが見えなくなっていた。

「果たし合い」をしにいくような、いや、
「果たし合い」はしたことがないけれど、
ほんとうにそのような感覚で、気持ちを伝えに行った。

今自分が見えているものを、なるべくそのまま差し出すように努力した。
「若いんだから、色々やってみたらいい」と言っていただけた。

残っていた可能性が、またひとつなくなった。

(つづく)

2015年3月17日火曜日

「僕と仕事」(8)

ゼミをしている時の視界。
前回の続き】

秋。

ブログを書き始めた。
以前つくっていたブログに、数年ぶりに記事を投稿した。
携帯電話に関して、実験してみたことを書いた
誰かに見てほしいような、
でも「見て」と言うのも違うような、複雑な感じだった。

ある日大谷さんと話していて
「そのこと、ブログ書いてみたらいいのに」と言われた。
「実は最近書き始めていて」と言って、読んでもらった。
「おもしろいね」と言われた。
もっと書こうという気になった。

ゼミにも参加し続けた。

担当回のレジュメ・毎回のコメント・レポートを書くことが
「勝負」のような感覚になっていた。
見えているものをできるだけそのまま書く。

毎回のゼミも勝負だった。
見えているものをできるだけそのまま言う。
終わる頃には、1人では到達できないところに到達している。

「読む」「書く」「話す」ということに関して、
ぼくがそれまで知っていたものとは、
違った地平が広がっているのが見えてきた。

ある日、ゼミのメンバーが
「レジュメを作ることのほうが、よっぽど仕事っていう感じがする」と言った。
なんだか分かる気がした。


(つづく)

2015年3月16日月曜日

「僕と仕事」(7)「ゼミ」と出会った。

ゼミで読んだ本。
ゼミとの出会いで、僕は読むこと・話すこと・
書くことを取り戻した感じがする。

前回の続き】

8月。はじめて「まるネコ堂」、大谷さん澪さんの家に行った。

4月にハローワークに行ったとき、前の仕事で知り合った方と偶然再会した。
近況を聞くと、仲間と本を読む「ゼミ」という集まりをしているという。
8月のこの日、ちょうどゼミ後にモツを焼いて食べるというので行ってみた。

この日はゼミ1冊目の最終回「合宿」だった。
ぼくは昼間の用事を終えて、夜に合流した。
庭の七輪でモツを焼いて食べた。

学生時代のゼミの話をした。モツを食べた。
ゼミ1冊目のパウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』の話を聞いた。
僕はこの本を読んだことがなかった。

ブラジルの教育者が書いた本の感想が話されているのに、
その内容は「教育」でも「ブラジル」でもなかった。
僕には、ゼミの面々の人生そのものが語られているようにきこえた。

「ビール、飲みたくなった時に買った方が美味しいかと思って買ってないねん」
近所のフレスコまで歩いて、ビールを買いに行った。
モツもビールも美味しかった。

室内に移ってしばらく話した。
何を話しただろう。上勝に行った話、親の話、職場の人間関係の話。
その日はそのまま泊めてもらった。

翌朝。次に読む本は保坂和志『考える練習』だと知る。
本も著者も知らなかった。本に目を通してみた。

いつ「ゼミに参加する」と決めたのか思い出せない。
ともかく、家を後にする時には、次からゼミに参加することにしていた。

それ以来、大谷さん・澪さんのブログを読み始めた。

ぼくもブログを書いてみようか、と思うようになった。

2015年3月15日日曜日

「歩き方」を思い出した。

最近、歩くのがたのしいなあと思う。
「歩き方」を間違えなければ。

そうそう。こんな感じ。

脚を真ん前にまっすぐ出す、というよりも
つま先を斜め前に放り出す感じ。

かかとで地面を捉えてつま先で蹴り出す、というよりも
かかとはやや地面に擦るくらいの感じ。

身体が前にずんずん進む、というよりも
横に揺れるような感じ。

手は前後に振る、というよりも、
ももの上でリズムを取るような感じ。

* * *

最近、「仕事のために駅に向かう」ことが多かったからか
心なしか足早になっているのに気がついた。

いつも通りの時間に家を出ているので
普通に歩けば間に合うはずなのに
カツカツカツカツ、大股で、一目散にまっすぐ歩いていた。

以前よくやっていた歩き方だ。
なんだか気持ちよくなかった。

* * *

昨日、東山の和室にふらっと行った。
大谷さんの言う「無い」で満たすというのをやりたかった。
やる必要があった。

何もない和室で一通りぼーっと過ごして、
少し書きものをして、独り言を録音して、聞いて、
スーパーに寄って、和室に戻るか迷ったけれど、やめた。

その帰りがけ。
「あっ、そうそうこんな感じ」

思い出せてよかった。

2015年3月14日土曜日

「僕と仕事」(6)

尾道にも寄った。
あてどなく坂を登った。

前回の続き】

「したいことをしよう」と思って、
好きな音楽を聞きに、ライブにもあちこち行った。
広島、福岡、愛知、大阪、東京。
行く先々で、昔からの友人にも会った。

結婚1年目で引っ越して間もない友人と、小倉の町を自転車で探索した。
商店街をまわって、おでんを買った。結婚と仕事の話をした。

車で迎えに来てくれた友人と、味噌カツを食べながら話した。
勤め始めた時は色々あって、思うところもあるど、今はなんとかやっているという。

僕が就職する直前に会ったきりの仲間と、秋葉原で飲んだ。
スタイリッシュな職場の名刺をもらった。彼女は来年結婚するのだという。

近々フランスに修行に行くという料理人の友人と、ラーメン屋で話した。
渡欧すれば、次はいつ帰国するか分からないという。

東京のライブのチケットが1枚余ったので、初対面の男性に譲った。
開演前に、席で少しだけ話をした。
希望するテレビ業界で仕事をしていたが、体力的に厳しく転職したらしい。
今の仕事はキャリア相談に乗る仕事だという。
ぼくは5月頃の「転職活動」を思い出して少し縮こまった。

終演後、人ごみの中を2人で駅に向かった。
話していると、彼の職場は僕が務めていたところと近い業界だとわかった。
カフェに入ってお互いに話をした。
やりたい仕事に就くということ。仕事をする環境のこと。
人間関係のこと。自分の能力のこと。人の役に立つということ。

握手をして、Facebookのアカウントを伝え合った。
彼は終電ギリギリで帰っていった。

僕はその後の予定に少し遅れた。

(つづく)

2015年3月13日金曜日

「僕と仕事」(5)

研修の事務局仕事で久々に行った兵庫県の三田。
よく晴れていた。
前回の続き】

夏。

知り合いから、個人としてぽつぽつと仕事をいただき始めた。
研修のプログラムづくり。通信制高校の授業。イベントのグループワークの進行。
過去に参加した研修の事務局も手伝わせてもらった。
声をかけてもらって、そこに応えていけることが嬉しかった。

4月末から始めていたアルバイトにも、少し慣れてきた。
前の仕事で出会った方から声をかけてもらって、始めていた。
「同僚」がいるということが嬉しかった。
先輩の言葉や仕事ぶりが素敵だった。
まわりの人の動きを見ながら、自分のできることを返していく手応えがあった。

前の仕事でお世話になった人たちと、久しぶりに再会することも増えていた。
「最近どうしてるの?」「そうかあ、やりたいようにやれてるなら、いいね。」
「いろいろあったんやなあ。」「今はじっくり考える時期なんやね。」
組織から離れても、一人の人として関わってもらえている感じがした。

出会い直しができたような気がして、嬉しかった。

(つづく)

2015年3月12日木曜日

「僕と仕事」(4)いったん、休むことにした。

島原の港を出た船から見える雲仙普賢岳。
九州は大地の力を感じる。

前回のつづき】

いったん、休もうと思った。

「いつまでに仕事を決める」と考えるのをいったんやめて、
行きたい場所に行き、会いたい人に会い、したいことをしようと思った。

長崎に住んで働いている友人が、「一緒に働かないか」と言うので行ってみた。
前から遊びにおいでと言われていたので、
仕事を探すというようりも、ただ友人を訪ねるつもりで行った。
友人行きつけの店のケーキを食べた。地元の魚を食べた。熱い温泉につかった。
翌日の祭りで披露される予定の、地元の人のオリジナルソングもきいた。
いい歌だった。そう伝えたら友人がmp3のデータをくれた。
ちゃんぽんを食べた。山に登って友人の仕事の話をきいた。海が見えた。
友人の昔の同級生も訪ねてきて、初対面ながら色々話した。お酒ものんだ。
一泊して町をぶらついた。地元出身でUターンしてきたデザイナーと話した。
土地のこと。仕事のこと。夕日を見ながら足湯につかった。

その流れで高校時代の同級生と合流して、また別の友人を訪ねて鹿児島に行った。
久々の再会だったので、この数年であった出来事について話した。
移住のこと。恋人のこと。住まいを開くこと。
友人の同僚も加わって飲んだ。仕事の話を聞いた。失恋の話を聞いた。
瓶ビールのこぼれた僕のズボンを、コインランドリーで洗濯した。
友人は車で空港まで送ってくれた。「その方が最後まで話できるかなと思って」

また別の友人に「滋賀にあるログハウスの使い方を考えたい」と声をかけてもらった。
一泊して、ぽつぽつと話をした。ふらふらと散歩をした。
「ログハウスの使い方」についてはあまり話さなかった。
でも、満たされた気持ちで帰りの電車に乗った。

徳島の山奥にも遊びに行った
ボールもないのに「エア野球」をした。沢登りをした。
川魚を焼いて食べた。山にも登った。ホラ貝を吹いた。
ヤッホーをした。道に寝そべって星を見た。
木の実を取って食べた。円坐をした。
たき火のそばでぽつぽつと話をした。親や職場の話をした。
僕は「今、死んでない 生きている感じがする。」とつぶやいていた。

京都に戻り、2回目の失業認定のためにハローワークに行った。

(つづく)

2015年3月11日水曜日

「書くこと」のルール

文章を書くのがおもしろい。
調子がいい時は、休憩を挟みさえすればずーっと書いていられる気分になる。


大谷さんのブログの記事「読むっていいよね。
僕の文章のことが書かれていた。嬉しかった。

「よく読むブログ」の3人はお互いのブログを読み合っていると知っていたけれど、
それ以外の人から反応を聞いたのは初めてだった。
読んでくれている人がいるんだ、と思った。

いつだったか、文章を書くことについて
「読み手の目線に立って書く」「読んでほしい相手を想像して書く」と教わった。

特に何かの催しの告知をする時は、
その催しに来てもらいたい人を出来る限り具体的に
(その人がよく使っている言葉、関心のあること・飽きていること、
通っている場所、読んでいる本など…を)想像して、
どんな言葉を使うかを考えましょう、と教わった。

最近ブログでも、ゼミの告知文でも、文章を書くのがおもしろい。
でも、ここでは上に書いたことと逆のことをしていると思う。

僕が見たこと、聞いたこと、出会った人、かけられた言葉、
僕が発した言葉、僕の中に起こったこと。
それらをなるべくそのまま抽出して、ぽつぽつと書き落とす。

「なるべくそのまま」というのが難しいのだけれど、なるべくそのまま言葉にする。

これを開いてみることで、どんな人が面白がってくれるかが結果的にわかることがある。
伝わったという手応えが感じられたり、感じられなかったりする。
これがおもしろい。

最初に書いたルールしか通用しない世界もあるのだと思う。
優劣があるということではなくて、ここではルールが反転している感じがする。

2015年3月10日火曜日

「僕と仕事」(3)「転職活動」をした。

5月には結婚パーティの手伝いもさせてもらった。
ほんとうにいい会だった。関われて嬉しかった。
前回の続き】

5月。もやもやした気持ちを抱えていた。

とりあえず動き出さないと始まらないと思い「転職活動」を始めた。

ハローワークの履歴書作成講座に参加した。
民間の転職支援サービスに登録した。
面接の講座に行き、コンサルタントの面談も受けた。
企業に履歴書を送った。
想定される質問と答えをノートに書き込み、面接を何社も受けた。

NPOがやっているキャリアワークショップにも参加した。
仕事探しの計画づくりをした。がんばらなきゃという気持ちになった。
色々な境遇・背景で仕事を探している人と話をした。
少し気持ちが楽になったような感じがした。

大学時代の友人にバーベキューに誘ってもらった。
友人の会社の同僚がたくさん来ていた。
自己紹介すると「こんなとこ来てないで仕事探さないと!(笑)」と言われた。
冗談なのは分かっているけれど。

知り合いから「フリーランスでやっていくなら、こんな仕事もあるけどどう」と、
ある大きなイベントの事務局仕事の話も聞かせてもらったこともあった。
個人としてはとても担いきれない感じがして、やれなかった。

これまで数回しか会っていないけど、会いたかった人たちに会った。
「前に出会った時は『組織からきた人』って感じがしたけど、
 今のほうがちゃんと出会えてる気がする」と言われた。
とても嬉しかった。

面接を重ねた結果、1社から内定をもらった。
けれども、結局、辞退した。

風邪をひいても滅多に熱を出さないのに、面接の続いた最終日に高熱を出したこと。
内定が出たことをとある人に相談したら、やっていけるかとても心配されたこと。
そのあと、なぜかどうしようもなく気分が落ち込んだこと。
いろいろな人に話をきいてもらって、結局辞退した。

精神的に負担になっていたので、転職支援サービスの利用もやめた。

電話でコンサルタントからこう聞かれた。

「では、利用停止の理由は『転職活動をやめる』ということでよろしいですね?」

(つづく)

2015年3月9日月曜日

「僕と仕事」(2)仕事をやめた。

寝床を求めて、ロシアから飛んで来る渡り鳥(マガン)。
この後すごい数が頭上を通った。この日は8万羽来たらしい。

前回の続き】

4月。仕事をやめた。

実際には引き継ぎが少し残っていたので、数日はパソコンに向かって作業していた。
この期間はまだ「仕事をやめた」という感じがしなかった。

残務処理が終わると、とうとう「すること」がなくなった。
最初のうちは「長期の休みを取った」ような感覚だったのが、
「明日も予定がない」ことでだんだん不安になってくる。

そんな日々をしばらく過ごしてから、北に飛んだ。
地方に住みながら働く友人が「よかったら働かないか」と声をかけてくれていたのだった。

「どうせ北に行くなら」と、当時好きだった朝ドラのロケ地を経由して行った。
移動中、フェリー乗り場近くの屋台飲み屋で偶然出会った年配のおっちゃんと話をした。
「なんで仕事辞めちゃったのぉ!」「そうかぁいろいろあるよなぁ。」
「仕事、見つかるといいなぁ。」

高卒で工場の仕事をしている男の子と、その彼女とも話をした。
「少しずつ仕事任されてきて嬉しいんですよ」と頼もしく話す彼。彼を見つめる彼女。

友人の仕事先には何日間か滞在した。
「移住してくる予定の人」ではなく1人の友人として紹介してくれた。
その土地の人と会い、話をし、ジンギスカンを、カレーを食べた。
丘にも登った。町を見渡した。渡り鳥と夕日も見た。
山菜を取ってほぼ自給自足しているおばあちゃんにも話をきいた。
食べごろを少し過ぎたふきのとうが生えていて、それも食べた。

結局、そこでは働かなかった。帰ってからもずいぶん考えた。
こうして声をかけてもらっていることは嬉しいし、お役に立てるかもしれない。
でも、「行く」という感じに至らなかった。

可能性をひとつ捨ててしまったような気持ちだった。

(つづく)

2015年3月8日日曜日

「僕と仕事」(1)仕事をやめるまで。

4月の頭に金沢に行った。桜がすごく奇麗だった。

仕事や、働くということについて。

僕にとってはかなり大きな環境の変化だった「仕事をやめた」ことをスタートに、
何回かに分けて書き連ねていきたいと思います。

******

去年の3月、僕は仕事をやめた。
より正確に言えば、雇用されている組織を退職した。

やめるに至る理由はいくつかあったけれど、
とにかく「やめる」ということを決めた。

退職前に「やめる」と人に伝えると、色々な言葉が返ってきた。

「やめてからはどうするん?」
「早めに準備せな、転職市場は厳しいからなあ」
「次の次にどういう方向に進みたいかで、次が変わってくるね」
「転職活動、相談乗るよ」
「ひとまずゆっくりしたらいいと思うよ」
「経験が活かせる仕事に就けるといいねぇ」
「大学院とかは行かないの?」
「決まってなかったら、なんでもできるやん!」

僕としては「やめる」ということしか決めておらず、
「次どうするか」を考えられる感じでもなかったので、
「次は」と聞かれたら「一旦ゆっくり考えようと思ってます」と答えていた。
Faccebookにもそのように書いた。

とにかく、がむしゃらに3月は働いた。

(つづく)

「馬車が普通に走ってる」

最近pha(ファ)氏のブログをよく読んでいる。

「できるだけ働かずに生きていきたいと思っている35歳」で、
『ニートの歩き方』の著者。この本は気になるけど読んでいない。

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

「外国の町をふらふら歩くのが好きだ」という投稿がおもしろかった。
どこかの国の町で道に迷った様子を収めた動画リンクが貼ってある。
「なんか、歩いてたらどこにいるのかもよくわからなくなってしまって、ちょっと不安なんですが、馬車が普通に走ってる」
この一言が、なんだかすごくよかった。

不安は不安だけれど、目の前の「馬車が普通に走ってる」ことをおもしろがれるような、
そんなふうに生きてゆけるといいなと思う。

海外に行きたくなってきた。
パスポートの有効期限が切れている。

2015年3月6日金曜日

遠出は未遂に終わった。旅した感じはする。

三条花見小路あたりにある柳湯
近所にも1軒あるけどこっちがお気に入り。


昨日、「家で昼食を作りたくない」と思って家を出た。

翌日の仕事さえ終われば3日くらい予定が空くスケジュールに変わったので、いっそあてもなく遠出してやろうと思って靴下やらPCの充電器やらをカバンに詰めた。

無性に牛丼が食べたかった。買い置きしてあった回数券を手に取って阪急に乗った。河原町に出て、吉野家で牛丼を食べた。それから文章を書きたくなってネットのつながるカフェに入ってブログを書いた。

夕方には大谷さん澪さんの家に行く予定だったので、行った。そのままぽつぽつと話をして過ごした。仕事のこと、人との関係のこと、場をひらくこと、ゼミのこと、書くこと、可能性のこと、更地のこと、和室のこと。パスタを食べてワインを飲んで、炒飯を食べて、とぼとぼ散歩して、ラーメンとアイスを食べた。たらふく食べたのでいつもより早めに寝た。

翌日起きて仕事に行った。遠出するかどうかは仕事が終わってから決めようと思っていた。想像の世界では、京都駅のバスターミナルに行って、気の向く行き先のバスチケットを買ったりして朝には見知らぬ土地、みたいなストーリーが展開していた。内地よりも端っこ、海とか川に行きたかった。

案外仕事が立て込んでいて疲れたので、仕事終わりにとりあえず銭湯に行った。番台のおっちゃんが親切で石けんを貸してくれた。入れ墨のおじさんもいた。あったまった。けっこう満足した。

喉がかわいた。おなかも空いている。「遠出しよう」みたいな感じはなくなりつつあった。とりあえずコンビニでコーヒー牛乳を買って飲んだ。空腹もやわらいだ。

コンビニのwifiを拾ってメールを見ると、澪さんがアリスゼミの告知を書いたと知った。「こうしちゃおれん」と思って、すぐにでも文章を書きたくなった。食べるものを買って東山の和室に行こうかとも思いながら、ネットにつなげないのでやめた。遠出するという選択肢がなくなった。

帰って文章を書いた。

2015年3月5日木曜日

haruka nakamura『MELODICA』を買った

なんだか最近ブログで「何か言おう」として疲れてきた気もしていて、とりあえずどうでもいいというか、特に何もある訳ではないけど書こうと思うことを書く。

久しぶりにCDを買った。haruka nakamuraの『MELODICA』。

MELODICA







東京で活動する音楽家らしいのだけど、詳しくどんな人かは知らない。もともとぼくはnujabes(ヒップホップのトラックメイカー。2010年に交通事故で亡くなった。)が好きで、彼の主宰するレーベル「hydeout productions」のサイトを久々に漁っていて見つけた。


最近やたら部屋のものを片付けている一環でだいぶCDも減らした。その時によって、音楽の聞き方も変わるなー、と思う。以前は毎日イヤホンを外に持ち出していて、電車に乗りながらよく音楽を聞いていた。これを今年からやめていて、音楽にコントロールされる感じがなくなった。自分が必要とするときに、音楽を聞くというか、聞きたいと思ったときにアクセスするというか。当たり前のことのように思えるけど、「いつでも聞ける」という環境は「別に音楽を聞きたいわけじゃないけど、音楽を流し込んで埋める・紛らわす」ということを可能にする気がする。

どこまでいっても「聞きたい」には何かを埋めたいとか紛らわしたいというのは入り込んでくるけど、音楽にコントロールされている感じは減ってきている。無理に何かに向わせるような感じの音楽をあまり聞かなくなったし、部屋にいるときも無音の時間が多くなった。淡々とこぼれてくるような音楽を聞きたい。

【追記】
あとこのインタビュー記事も、なんだかよかった。